2020年12月12日に退院しました。退院から、丸3年の体調を、記録したいと思いました。


気づけば世の中、クリスマスモードに。


白のポインセチア、珍しい!!




ツリーの星の上には月。出勤前に撮影。



同年7月28日にくも膜下出血発症、手術からリハビリを経て約4ヶ月半の長期入院でした。


真夏に入院して、季節はガラリと変わり、真冬の退院となりました。


病名は、正式には破裂性椎骨動脈瘤解離によるくも膜下出血およびワレンベルグ症候群(延髄外側症候群)と、色々な書類に書いてありました。


入院から、退院までのリハビリメモを、こちらの記事に総まとめしております。需要のある方はどうそ!参考になる事があれば幸いですダウン





リハビリ病院の、退院前最後の病室の窓からは、なんと自分の母方の祖父母と、義父の眠る霊園の、参道が見下ろせました。


銀杏並木になっていて、毎日少しずつ黄色に変わっていくのを眺めていました。



この画像は、初めての外出訓練の日に撮影。まずは病院からすぐの毎日眺めている霊園へ、お墓参りに夫が連れて行ってくれた時のものです。


お墓があるのは安心ですが、夫を残して早々に、嫁ぎ先の墓誌に加えていただく事にならず、本当にありがたかった。


朝起きると合掌し、今日もよろしくお願いしますと拝むのが日課になりました。


順番を守りたいと心から思いました。



リハビリ病院に来てから、最初はナースセンター横、中央そして退院間近になると端から2番目の病室となりました。


いずれも4人部屋で、ベッドは廊下側→窓側→窓側だったかと。


2回目の部屋まで、ベッド上でオムツ交換の方もいらして、においや、夜中のナースの出入りも頻回で、


オムツ交換時に、「あーよかった!沢山出てる!!」と、においも厭わず喜ぶナースさんは、天使認定です😂


3度目の部屋には、もうトイレ自立の方しかいなかったので、夜はとても静かで平和な日々でした。



中央あたりの部屋の時と記憶していますが、向かいのベッドの方が、夜中にトイレに行こうと、ナースを呼ばずに1人で車椅子に移乗を試みていたようでした。


でもうまく行かず、転落し尻餅をついてしまいました。


親よりきっと年上と思われる患者さんが、若いナースにコンコンと説教されていました。


高齢者施設で働く人間として、学ぶことが多い日々でした。言うべき事はきちんと伝える。そして、理由もきちんとお伝えする。引いては高齢者さんを守るため。躊躇してはいけないのだと思いました。


退院間近の最後にいた病室では、ナースセンターではなくコインランドリーの近くになりました。


リハビリで汗びっしょりになったブラトップは、大きな流しがあったので、そこで手洗いしました。3階まで病棟の階段昇降5往復とか、時には両手におもりも持ち、買い物の荷物を持って上がる想定でのリハビリもありました。


リハ終わりに首タオルで、汗で髪までびっしょりで病室へ戻ると、ナースさんに、

「何してきたの?!」

と驚かれたり。


外出や外泊のとき着て戻った服は、乾燥機能のついたコインランドリーで洗濯したりしました。


退院日に備えて、外泊訓練で冬の服を揃えて、キャリーバッグに入れ、楽しみにその日を待ちました。

 


ブラジャー以外全てレンタルできる病院でしたが、後半すごく歩いたり縄跳びもしたので、ブラトップだけは欲しかった。


洗濯もできる体調になっていたので、液体の洗濯洗剤と、たらいも家から持って来てもらって、手洗いしました。


タオルはいくらでも借りられるので、タオルにくるんで手絞りして、一晩ベッドの手すりにかけておけば乾きました。


寝たきり時代は、家族に負担かけたくないし、首からタオルをかけて、綿で白の前ボタンの肌着だけで、全てレンタル品で過ごしました。


退院近くになると、入院生活に関しては、わからない事や困る事は何もなく、家事から解放され運動だけして三食上げ膳据え膳で、かなり快適でした。


退院日がどんどん近づくと、今度は寂しくなったくらいです。スタッフの皆さんとも親しくしていただいて、退院日は本当にお別れが寂しくて、泣けてしまったほどでした。写真を沢山撮りました。


急性期の病院も含めて、約4ヶ月半に入院経験は、私の人生にとりとても貴重な体験となりました。


沢山の出逢いがありました。ドクターやナース、リハスタッフの皆さんはもちろん、同室の患者仲間さんとも電話番号を交換したり、もう病院を、やめられた介護スタッフの方とは友達になり、一緒に観劇したり。


生きて退院できたからこそ、出逢えた方々や再会が叶った方がいる一方で、長年の闘病の末、お別れとなってしまった弟や友人。


2人の母の、体調の変化が激しくなりました。


2021年7月から入院、回復する事なく10月月初め弟が旅立ちました。何度も名古屋へ往復しました。


11月には姑が心不全で入院。ひと晩徹夜で、夫と義妹とともに救急病院に詰めました。


その年終わりには、独立していた息子が転職し、通勤の便を考えて、アパートを引き払い実家に戻りました。


姑は無事退院して、義実家に集まり元旦を家族で祝えたことは、まさに奇跡でした。


2022年は、初の母の介護認定調査。母は、末弟をとても可愛がって、離婚して病気も患っている弟を、1週間近く泊めたりして、よく世話をしていました。気が抜けてとても悲しんで、弟を送ったあと、母の様子がおかしい。


近所の総合病院の、消化器外科の主治医を、個人の認知症専門医にかえて、介護認定を受け、要支援1をいただきました。


総合病院や大学病院の主治医だと、ドクターの異動もありますし、介護認定されにくい現実があります。



認知症の専門クリニックに加え、脳神経内科にも行きました。MRI検査で、小さい脳動脈瘤が見つかりました。


総合した結果、診断は抑うつ。閉じこもらず外に出ましょう、でした。


半日デイや1日型など、あちこち見学に連れて行きました。


とりあえず、近所の大手デイサービスに収まりました。


ほっとして、秋には兵庫県へ一人旅。


大ファンの今井雅之さんの生誕地です。今井さんを偲ぶ旅へ出て、死ぬまでに叶えたい事を、無事にひとつ終えました。



2023年のお正月は、穏やかに過ごしましたが、姑をサ高住に送る時、寂しがるのが可哀想に思いました。


楽しい事の後は、1人になるのを寂しがり不穏になるのが困りました。


2023年3月は、娘が胸にできた、良性ですが大きな腫瘍を取る手術を緊急で受けることになり、駆けつけた彼氏さんと初対面。LINE交換しました笑


同じく3月下旬に、姑がベッドから転落し腰椎圧迫骨折。これをきっかけに脳機能も急落、夜のトイレも要見守りとなり、サ高住から特養へ引っ越し。


1月2月と、月1度の通院してアフターランチして、3月にはランチのあとさらに梅を見て、来月はいよいよ桜だねと話していました。


梅見が最後になりました。




サ高住生活も、まもなく丸3年になろうとするタイミングでした。



そして、実母の方は。落ち着いているようでしたが、5月に突如眼球が動かなくなり、目の痛みを訴え赤く腫れました。


大学病院受診すると、脳動脈瘤が2センチ超えているのがわかりました。眼神経や眼の血管を圧迫していました。


破裂しても、手術はせずそのまま死なせてという母に対して、介護を手厚くして、母や家族が安心して過ごせる環境づくりをして。


介護認定区分変更のため、三鷹の実家へ頻繁に行き来しました。


さらに、コロナ禍が終焉し、私は活動再開した舞台にも行きたくて、隙を見ては出掛けて、


週4日の仕事に自分の通院もあり、体操教室も休み休みですが続けながら。


母の脳動脈瘤はそのままですが、要支援から要介護1となり、血圧管理しながらデイサービスの他訪問診療と薬局、訪問看護そして訪問歯科に、ヘルパーの手配が整いました。


月に2回の訪問診療は家族が立ち会わなければ、母は症状を言えないし、ドクターの話もちゃんと理解できない感じで、必ず誰か同席することに。


前半は義妹が。私は、後半。前半は、日帰りで翌日の訪問薬局さんのみ対応します。


後半は1泊でドクターと歯科、翌日は月1回のケアマネの面談を入れ、薬局の訪問に立ち会うルーティンが完成。


母も独居の不安から解放されて、酷暑を無事に超えて、やっと笑顔が見れるように。


合間には、義実家に戻るため荷造りも(年明けから)していましたが、なかなか落ち着かず。


2023年10月には、姪の結婚式のため、家族で沖縄旅行。母も無事連れて行かれた!


そして、娘が彼と一緒に住んで12月に結婚すると、カミングアウト。


いやはやです。振り返ると、何と忙しい。




飛ぶように過ぎた3年でした。




今年3月から始めた、義実家への引っ越し作業も介護や娘の病院で中断しましたが、やっと今月には終わりそうです。



新年に、初めて我が家を訪問してくれる娘の彼を、新居で落ち着いて迎える。ここを目標にしています。


暖かい日が続いていますが、何と夫が腰痛を訴え始め。


どうなることやらですが、とにかく年内に。


12月は5つ現場入りたい公演がありましたが、もう2つはすでに断念。3つは予約済み。とにかく行かせていただきます!!


ただゆっくり休んでも、筋力落ちるだけで元気は出なくて。


日常から自分を強制的に切り離し、全力パフォーマンスでいただく生のエンタメの感動が、私にエネルギーを与えてくれるのです。


コロナ禍や酷暑の中、エンタメ頑張っていた皆様。今年もうんと助けていただきました。感謝申し上げます。



何だかんだと、アラ還はまだまだ頼りにされる年頃。健康第一で、残りわずかとなった2023年も駆け抜けます。


母や姑を、介護のプロが、年末年始も休みなく、一緒に支えてくださっています。心から感謝申し上げます。


12月5日火曜日も、三鷹在住の独居の母の様子を日帰りで見てきました。こんなお一人様用鍋セットを作ってみました。冷凍庫へ。




義妹も来てくれて、サブスク動画配信サービスの料金を二重払いしていたのを発見してくれました!何社もあった掛け捨ての損保や葬儀屋の契約を全て見直してくれて、整理。


母は、もう自分の入っている保険がどんなもので何種類あるかもわからない。


だいぶ、見えない部分もスッキリしてきました。


今月から、定額のお小遣い制となる母。義妹が経理畑の人で、助かってます!感謝。




自分や家族が大病してみて初めて、日本の医療や介護保険のシステムの素晴らしさを知りました。


倒れてみてわかる、赤の他人の有り難さ。他者に優しく。こんな当たり前の事がなかなかできない自分が恥ずかしいとは思いつつ、まだまだ修行中です。


これだけの事をこなして、なおかつ仕事も家事もしてきた自分もついでに褒めていいですか泣


かなり体力回復していることは、間違いありません!それは、弟や母たちや娘のお陰かもしれません。


昨年は11月にはバス通勤に切り替えましたが、今年はまだ自転車乗ってます。


降りて自転車押して歩いていた坂道を、乗ったまま登り切れます。


奥行きのある階段を、二足一段で登っていたのに、いつの間にか一足一段に。




確実に、体力アップしていると思われます。


今年最後の、体操指導者講習も終えました。めまいの起こる動きはイスも使いますが、形が綺麗と師匠に褒められ。


さらに、午後から職場へ行く事も、さほど苦ではなくなりました。15,000歩超えても、あえて気にしないようにしています。


10,000歩程度は楽勝なのですが!



家族みんな元気で、新年を迎えたい。無理せずでもできる事は頑張ります。


観劇記録も、今年はあと2回。そして、今年最後のご挨拶もさせていただきたいです。


健康第一にしますので、もしご挨拶なければ新年にいたします。ご了承くださいませ。


皆様もどうぞご自愛ください。そして、師走を元気に楽しみつつ、過ごしていただけますように。 



この銀杏の葉も、もうすぐお別れです。地面に落ちて、新芽を出すための栄養に変わる。


植物の生き様の無駄のなさと潔さ、リスペクト🙏