NO 柔道(JUDO) NO LIFE 【その36:柔道の創設者って・・・誰?】 | のほほん日記

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平々凡々が大好きな自由人のおっさんの、身の周りで起こった出来事などを綴っております。

全国の怪我で柔道をやりたくても出来ない皆様、
お互いに治療に専念して1日も早く治して復帰しましょう。

さて、昨日は門司道場での稽古の日でした。
先週お休みしたので道場の先生に怪我の状態を報告と
見学がてら行って来ました。
実は隙あらば稽古しようかとか思って
柔道着を持参していたのはここだけの秘密。
※結局は無理でしたけど。

そんな訳で今回は大人しく見学。
何時も稽古を付けてくれる黒帯先輩達から
「あれ?今日は稽古しないんですか?」
と言われて
「かくかくしかじか・・・」と、オイラ。
稽古しているのを見ると
否が応でも身体が稽古したくてたまらなくなるのは
好きで始めた故の性(さが)なんでしょうか。
モチベーションが上がっちゃいます。

今回の稽古前の先生のお話しで
柔道を創設したのは誰か?
と言う話しがありました。

なんでも最近、
柔道やっているジュニアの部で
柔道の創設者の名前を言えないお子様が多い
のだそうで
道場の先生も(教える機会が無かったと言う点で)
反省された点だったのだとか。

オイラのブログを見ている柔道経験者で
創設した人の名前を言え無い人なんて
オイラのブログにも登場していますし
まず居ないと思うのですが

おさらい程度に書きますと・・・
柔道を創設したのは

嘉納治五郎(かのう じごろう)先生
1860年12月 9日生まれ。(1938年に他界)
名門の嘉納家の三男として生まれる。

14歳時、体が弱くいじめられていた事から
身体を鍛えたいと思うようになり
親の反対を押し切って
整骨院の先生の紹介で柔術の先生に入門。

柔術二流派の技術を取捨選択して
更に崩しの理論を確立し
それまで嘉納先生がやっていた柔術を
「柔道」と改める。
※『柔道が柔術の兄弟』と言われるのはこの事から。

明治15年(1882年)、
現在の台東区東上野5丁目にある永昌寺の
12畳の居間と7畳の書院を道場として
囲碁・将棋から段位制を取り入れて
講道館を設立。

その後教育者として指導者として
明治から昭和まで
幅広く柔道やスポーツに尽力した事から
「柔道の父」「日本の体育の父」
とも言われている。

ちなみに得意技は『浮腰(うきごし)』

『山嵐』で(柔道が好きな人には)有名な
西郷四郎(さいごうしろう)に攻略されるまで
無敵だったと言う。

技に入る時に『前に飛べば攻略される浮腰』に対して
前に飛ぼうとする足を払う事で相手を制する
払い腰が生まれる事になる。

※参考資料ウィキペディア・講道館公式ページ他

顔写真も載せようかと思ったんですが
武道場や図書館でも見つけて欲しいと言う願いを込めて
掲載しませんでした。
若い頃の写真は立派なひげを生やしているので
必見です。
(とか書いたら、治五郎先生に怒られるかな?)叫び