二ヶ月留守にしたのは
わけがある。

 

 ムタです。長らく留守にしておりました。
叔父の葬儀もあったのですが。

 

 実は「おきなわ文学賞」と「九州芸術祭文学賞」への
応募小説を書く。と、いう時間を

つくるためもありました。

 

 「おきなわ文学賞」は叔父との関係を、

「九州芸術祭文学賞」はグスク巡礼のモチーフを。
 いずれも、六十枚ほどの短編にまとめました。

 

 そして、いま次回作の取材のために
東京へ戻っています。
出張と、いうことになるのでしょうか。

  

 昨日は渋谷のふたつ先。三軒茶屋と
銀座、月島へ出かけました。

 

 三軒茶屋は二十代に住んだ街。
久方ぶりに行ったら、まあ、なんとのかわりよう。


 二両編成の芋虫電車(東急世田谷線)が
桃色電車に変身。住んでいたエリアも
さまがわりで、とまどうばかり。



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世田谷線「太子堂」駅



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太子堂八幡神社。大晦日に甘酒が振るわれた。

確か、売れない漫才師がステージにいたな。



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若林の二丁目あたり。ここだとおもったが、なんと

タコライスのデリバリー店が。沖縄かよ!


 銀座はかつて、二丁目に
広告制作プロダクション
「ギンザライフプランニング」を
主宰していた場所。

 

 わしたショップと、中央区役所へより、
聖路加ガーデンまで歩き

(とにかく歩きがスキ)
隅田川の前でぼーっと川面

眺めていました。



沖縄市泡瀬でムタばなし-wasita












わしたショップ(銀座)


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大川端リバーシティ(隅田川)


 

 いま、進めているのは

東京と沖縄泡瀬を舞台とする

物語です。何枚に収まるのか

皆目、見当がつきません。


 とは、いうもののプロットや

設定はすでに練りこんであり、

資料にも眼をとおしています。


 最後におきなわ文学賞には

なんと、漫画部門もあります。

これにも12ページの作品を応募しました。


 結果は後日。ということで。

 

 あっ。もうひとつ報告が。

肩まで伸ばしていた髪を

今日、ショートに刈りこみました。


 ロン毛だと、小学五年生の娘が

遊んでくれません……。なので。































ロード オブ 今帰仁城

それは熱く

はるかな旅だった。




沖縄市泡瀬でムタばなし-nakijin_hiroba















早朝6時、名護十字路のホテルを出発。


本部半島の くびれを 


北上すること5時間45分



今帰仁城に着く。 


はぁーっ



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すぐに アグーカレーを食す 


アグー(豚)がやわらかく


美味であった。



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まずは 城外にある ハンタ道に


点在する 殿内を 尋ねる


ルートのことだ


道幅2.3m 全長約740Mの 


険しい登城道である



ぜひ チャレンジを



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阿応理屋恵 ノロ 殿内 火の神の祠


アオリヤエ ノロ ドウンチ 


ヒノカンヌホコラは三十三君のひとり 


応理屋恵の ノロの屋敷であった



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供のかね ノロ 殿内 火の神の祠


伴のノロは トウムヌバ―二 と呼ばれる 


今帰仁ノロの次位神役であった 


ここも ノロ屋敷の 旧宅であった




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ハンタ道は 今帰仁城脇の 欝蒼とした 


登城道で見逃され がちではあるが 


歴史を知るうえで ぜひ 訪れてほしい 







































 


現在も通行可能 体力のある方は 

ハンタ道とは 古来利用していた 
18.5キロを 走破して 

なんだ。

みんな沖縄に

くればよかったのに。



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 皆既日蝕です。みなさん沖縄にくればよかったのに。

自宅のルーフバルコニーでデジカメを構えました。

太陽のまわりのフレアが ご覧いただけるでしょうか。



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 十五分後 あたりは 夕暮れのように 彩度が薄くなりました。

遠くで犬の吠える声だけが 響いています。



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 11時ごろ。 フレアの境界がクリアになりました。

この時点で まわりはいつもより 薄闇になり 温度も低くなった。

母が慌てて 洗濯物をとりこんだので 雨はふらないよ。 と 注進する。



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 ミミは こんな感じで 寝ていました。

緊張感なし。 でも 皆既日蝕が 終わりを告げると 静かだった

樹木が にわかに 騒ぎだした。 そう セミが復活したのである。


 今日のために 労力も 金銭力も 消費された  世界中みbなさま

お疲れさまでした。


沖縄へ くれば よかったのに。











初七日を終えて

グスク巡礼の旅を

リスタートした。




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 安慶名から東海岸を北上すると

キャンプコートニーの広大な敷地がひろがる。


 カメラを構えたら警備員が大声を出したので

慌てて逃げる。


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 街道では人にあわぬ。 

だが 歩道を堂々と歩くものがいた。

ドライバーの驚いた顔が 楽しかった。



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県道75号線東恩納の手前で 

不思議な墓とであう。

尚氏名護御殿次男家之墓 と ある。

 後日調査いたします。










 同じく県道75号線 東海岸付近。

まるでコートダジュールのような 

風景がひろがる。

……いったこと ないけれど。 

たぶん。それに近いと。



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 沖縄本島の東海岸 石川橋から 

同じく西海岸 仲泊までのルート 

女性のウエストのように 

きゅっと 締まったくびれは

沖縄本島で もっとも 距離の短い 県道である。

 目指す ムーンビーチまで その距離 4.1キロ



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 やっと 東シナ海が みえた。ムーンビーチ入口の 食堂でアグーそばを食した。

安慶名をスタートして 約3時間半 

歩行距離約12.5キロ

気温32℃ たぶん路面は 

40℃をこえる と 思われる。

 ただ、ただ暑い。 ひたすら暑い。 足も痺れてきた。

何より ノートパソコンを収納した 

ディバック(推定重量10キロ)が 肩にくいこむ。



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グルメの旅ではないので 

インプレッションは控える。


 食後に冷たいマンゴーが 

供されたのは 有難かった。



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 谷茶のあたり。 防風林に埋もれるように 

碑があった。

 後日、調査の要あり。



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 午後3時を過ぎたころ。 陽は容赦なく 照りつけ 

肩は熱を帯びた。

 命の危険を察した。 ので(ほんと。だってば) 

バスに乗車する。


 この旅は 1日に2度バスに乗車することが 

許される。……そのとき 決めた。 

なんせ命あっての グスク巡礼である。



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 名護の手前 許田でバスを下車。

残り6.5キロを歩く。

写真は名護十字路近くにある 

名護ヒンプンのガジュマル


 ヒンプンとは 敷地内にある 玄関の目隠しである。


 名護のビジネスホテルOに投宿。 

何やら怪しげな部屋で

壁の絵を 裏返したりする。

 

 ホテルの部屋で 怪しげなの絵を裏返して 

そこに お札などがあれば 

要注意。 との 情報がある。


 だが 疲れて それどころでは ない。


グスク巡礼の旅 二日目 走行距離23.5キロ 


所要歩数約三万九千八百八十二歩


死ぬかと 思った。










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グスク(城)巡礼の旅は
荘厳なる
泡瀬ビジュルから



 2009年7月8日午前5時20分
泡瀬ビジュルへ参り
沖縄本島グスク巡礼の旅に出た。


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◎夜明け前。霊石を祀るビジュルの祠

 基本的に二本の足による
歩行の旅である。
我が身体は沖縄の灼熱の陽に
耐えることができるであろうか?



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◎中城湾新港地区より陽が昇る



 泡瀬を出て約2時間7キロを歩き
勝連半島、勝連城址に着いた。

 勝連城は十代城主、阿麻和利の居城であった。
1458年護佐丸、阿麻和利の乱の
舞台となった場所のひとつでもある。



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◎勝連城址、三の郭へ上る階段

 

 南に泡瀬漁港を見晴らし、
北東に女神アマミキヨの墓がある浜比嘉島がみえる。
古琉球を語るうえで重要なグスクのひとつだ。



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◎一の郭より北側の泡瀬漁港を臨む。



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◎同じく一の郭より東南方向浜比嘉島


 城址内で1時間ほど過ごし
次の目的地石川橋へ向かう。

 約5キロほど移動した前原高校付近で
携帯電話の着信音が響いた。


 叔父の訃報を知らせる電話であった。
田場交差点近くのバスターミナルより
バスで泡瀬の自宅へ向かう。