
ブログネタ:
皆さんは、死刑制度、賛成ですか?反対ですか? 参加中
私は
反対派
おどろいた。
一応つながりを1ページほど見たけど…。
確かに、殺人被害者遺族の応報感情への留意、というのは死刑存廃問題の大きなフラグのひとつだけど、なんか判断基準がコレだけ、って感じですね。
実は自分、もともと死刑肯定論者でしたが、あまりのバカバカしさにちと鞍替え。
じゃ、死刑存続意見に反駁してみましょう。
殺人を最大の人権侵害として禁止する法治国家が、同じ法において殺人を執行する。これを別のケースに例えるなら「同級生を拳骨で殴った小学生を、先生が拳骨で殴る」のと同じです。
社会的には教育現場での暴力を堂々と否定しながら、死刑はミンナで声を揃えてアリ、って……。
「遺族感情を救済して死刑存続しろ」というのは、論理的には「報復の代行」であり、単なるヒステリーです。同情はしますが「だから犯人を死刑にしろ」というのは、殺人者の思想と同じです。これを理性的な意見のように語る人があまりに多いことに、自分は驚愕しました。
法は神じゃありません。国が、つまり人が執行するもの。だから論理的には、死刑を是=殺人を是、です。国がやるならよし、じゃ戦争肯定です。だからこそ国際的には死刑廃止方向に向かってるわけですし。
ちなみに、先進国といわれる国で死刑制度があるのは日本とアメリカ、中国、シンガポールくらいってご存知でしょうか。しかもアメリカはいくつもの州で死刑廃止されてる。だいたい国連では死刑廃止条約を推進してるの、知らないのでしょうか。
あと、死刑存廃問題で最も重大なのが、冤罪による無実の人の死刑を、誰も救済できない、という事実。被害者感情うんぬんを主張する人は、無実の罪で間違って死刑宣告された人に、あんたの命より被害者感情のが大事だから黙って死ね、というのでしょうか。どんなに法が進化しても、冤罪はなくなりません。人のすることですから。
確かに、もし自分が愛する人を殺されたら、犯人ぶっ殺したくなります。当たり前。ですが、実際にぶっ殺したら、ぶっ殺された犯人の遺族が、私をぶっ殺したくなるでしょうし、私が殺されれば…(殺人犯の家族だって感情はある)。この連鎖を止めるのが、理性。法です。
なのに、法でぶっ殺したらスカッとする、って真面目に主張するんですか。コワイ国だわ、マジで。で、犯行時(死刑存続主張時)は心神喪失状態でした?ふざけんな。
殺人被害者遺族こそが、殺人の不合理さを訴え、死刑廃止を主張すべきなのに……(そういう死刑廃止論者は実際います)。
あともうひとつ。死刑がなければ凶悪犯罪抑止ができない? 逆です。殺人や凶悪な行為を是認する無意識がある国民性だから、死刑廃止に否定的なんです。悪いヤツという大義名分のある「他人」を殺したいという意識です。死刑廃止にして凶悪犯罪が増えたら、それが日本の現状です。それを「死刑無しに犯罪抑止」していくことが、正しい国のあり方です。
教育や正しい社会啓蒙を疎かにして、そのつけをごまかすために死刑存続を主張するのは論理のすり替えです。
だいたい、平和国家を謳う国が、核抑止はだめで殺人抑止はあり? ふざけないでください。それじゃ、ただの被害者意識のエゴじゃないですか。オレは核被害にあったから、核はだめ。犯罪は死刑で脅して平和な国をつくりましょう?←正気の人の意見じゃない。ヒトラーとかわらん。
---(ここから加筆)----
ここまで、憤りにまかせて書きなぐってしまった(笑)。ゴメンナサイ。法理念と感情論は違うんだよ、と、ちゃんと書いとこうと思います。
法とは、報復としての罰を与える公的必殺仕事人、ではありません。
法とは、社会を円滑に運営するため社会構成員たる国民を守り律するルール。それ以上でもそれ以下でもないのです。法で殺人を是認しないのは、社会構成員の人権を否定するから。これを許したら、社会が円滑に運営できないからなのです。
法治国家の国民には生きる権利があります。そして国民はよりよい共同体生活を送るため社会に奉仕する義務があります。だから、人を殺してはいけないのです。例え見ず知らずであろうと、他人も同じ社会という共同体で、共に幸せを目指す仲間、同志、家族だから。
こう書くと、エセヒューマニズムと勘違いする方もいるでしょう。でも違います。なぜ人を殺してはいけないか、それは酷いことだから、という感情論は完全に排除されています。
ところが死刑制度は刑罰で人を殺します。これは「場合によって人は殺してもいい」と宣言するのも同義。こんなに悪いヤツは死んで当然なのだ、と。
死刑存続派をとる人の多くが同じ事を言いますよね。でも、これが間違っているんです。この理屈は、それこそ殺人犯人の心情と基本的になんら変わらないから。人によって価値基準は異なります。その中で「こんな悪いヤツ」はいくらでも変わってしまうのです。実はとても善良な人が、この理屈で殺されるのです。それが殺人事件の基本的構造。
つまり死刑制度は、それ自体が殺人啓蒙(殺人をしてもいいよ、と訴えるコト)になっています。その論拠がまさに、今の死刑制度ブログネタの多くの意見ですね。悪いヤツは死んで当然、と多くの日本人が思っているから、簡単に人を殺せるヤツが続々出てくるわけです。
あなたが今、こんなヒデェヤツは死刑だ!と言った言葉が、どこかの街角で人を殺そうとしている者の背中を押し、勇気を与えているのです。
人殺しを憎むなら、死刑を支持してはいけない。
どんな理由があっても、人を殺してはいけない。それが当たり前でしょ? そう言うために、ものの道理のまだわからない子どもたちに(大人たちに)そう理解してもらうために、こんなヒデェ奴は死んで当然、と言ってはいけないんです。
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