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ピアスあいてる? 参加中
某ブログで出てきた言葉が、ずっとひっかかってました。
ピアスは退廃的な美だ、という話。
退廃的美学とは何だろう。
自分も実は若い頃そーいう世界にいたんですが(笑)、もちろん論理的な帰着というよりは感覚的選択でした。
単に退廃的美学、退廃派=デカダンスとは?って話になると、文学史、思想史的に19世紀~20世紀初頭の芸術至上主義や実存主義、タダイズムとかにまでさかのぼれちゃうわけで(笑)、こんなところでそんな話をしてもしょーもない(笑)。別にランボーもワイルドも読んでないし(^^;。
ただ、無関係ってわけじゃないのも確かです。
退廃的なモノに魅了される心理とは、保守的な価値観や革新的言動というものに対して、距離をおきたいという思想の裏返しともいえると思います。
学校で例えるなら、先生ウケの良い優等生はうさんくさくて偽善的に見えてしまい、かといって生徒会活動とかで学校側と対立したりする人たちも、うっとうしくて無様に見えてしまう視点。
(でもウチの高校では生徒会がもっとも退廃的でしたけどー(笑)。リベラリストは生徒会長だけ)
ちと強引に(笑)前者をクラシカル(保守)、後者をリベラリスト(革新)と言い換えるなら、退廃派はヤンキー(笑)。まあ、現実には退廃主義者はヤンキーもうっとうしいんですが(笑)、強引にモデル化するならそんな感じ?
で、これって、じゃあどんな主張なのか、というと「偽善もアンチ偽善もイヤ」なだけで、建設的な思想というのは存在しません。
主張がない主張、とはなにか、と言えばそれはすなわち、私はそれらと組みしないのだ、という「存在自体が主張と化する」こと、と言ってもいいんじゃないか、と思うわけです。
だから退廃的な立場の人は、ぱっと見それとわかる格好をしたがるし、享楽的な傾向に陥りやすいわけです。
(芸術至上主義は教義的芸術ではなく芸術のための芸術であるべきとする思想で、つまり社会ではなく個を強調する思想なわけです。ニーチェの実存主義もそう。ニヒリズム、ダダイズムとなるとちと過激すぎるが(笑))
自分それ自体が主義主張、というのは暴論ではありますが(笑)、近いものがあると思います。だから、自己を記号化し、愛を歌い、快楽を求める。
そして自己の記号化とは、ファッションのためのファッションを極めることであり、だからこそ肉体を衣服と同じように装飾することにも抵抗ないわけです。すなわちピアス、タトゥーは、退廃的価値観においては朝起きてパジャマからジーンズに着替えることとそれほど違わないわけです。
ここでさらに提起。存在そのものが主張化する人とはなにか(笑)。
そう考えた時に出てきた言葉は、なんと妖精(笑)。
妖精、妖怪とは、存在そのものが主張化した存在じゃないか、と思ったのはこないだ妖怪話を書いたから(笑)だけど。例えば河童は、水はコワイから気をつけよう、だし、森の妖精は、森は恐いところだよ、という啓示そのもの、といえます。
もちろん妖精や妖怪になろうとする人たちがいて、彼らが退廃的だった、という意味ではないのですが、存在論理、という意味ではとても似ている、と。
(妖精は別に主義主張があるわけじゃないけど、結果的に「自然に畏敬の念をもって接しよう」という思想になってる。土着伝承の形成原理とはすべてこの構造を持っているといっていいと思います。
教義的価値観ではなく、経験則的価値観が発露であり、世界認識の視点があくまで個にあるところが、とても重要な部分です。キリスト教的価値観が偶像崇拝を禁じるのも、このふたつがそもそも相容れない性質だからだろう、と思っています)
つまり、退廃的美学においてピアス、タトゥーをする人たちは、言動において主義主張を表す「人」から、妖精へとシフトした(したがっている)人たち、という見方も…あながち遠すぎるわけじゃないと思ったんです。
このピアスをすると、あなたも妖精になれる。
もしそう言われたら、なんとも魅惑的で享楽的退廃的な感じがしません?極端な帰着ではありますが、ピアスをするかしないか、という葛藤は、コレに似た世界なのではないか、と思うのです。
ただ、それは見方を変えれば単なる合法ドラッグでしかない、と言えるかもしれません。
人は人です。妖精にはなれない。
ニーチェ的にいえば、真理とは、あくまで戯れるものであって、なるものでも、なれるものでもない。
だから、オレはピアスはしないんです…たぶん。オレはただの、人ですから。
PS:
TVドラマ「GOLD」のワンシーンで、ふとそんなコトを思いました。
自分の愛を貫くために愛した人と同じタトゥーを入れた少女。母の望むオリンピック選手よりもずっと、愛が大事なのだ、と。だけど、母の苦悩とトラウマを知り、母の力になりたいと思った時、自分はタトゥーを入れたがために母を助けることができないことを思い知ってしまう。
愛と宿命とどっちが大事か、と、それを(タトゥーで)主張することは、実はまったく関係ないコトに彼女が気がつき、タトゥーを入れた肩を哀しげに見つめる姿が、なんとも胸に来るシーンだったもので。
PS2:
これ、最後まで読む人いるんか?(笑)