【注】この記事には、似鳥 鶏の『叙述トリック短編集』、ヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』の核心に触れるネタバレが含まれます。未読の方は、他のサイトへ移動してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日似鳥 鶏の『推理大戦』を読了し、ネタバレを含んでレビュー(感想)を掲載したところである。

 

【ネタバレ有】似鳥 鶏の『推理大戦』を読了! | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

 自分は、推理小説初心者であるものの、以下リンク先にある本は最近読んだ状態で、同じ著者である似鳥 鶏の『叙述トリック短編集』に臨んだ。

 

令和3年(2021年)、総括。 | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

 『推理大戦』と『叙述トリック短編集』の両者を読んだあとの感想は、

 「この人うまいわ!」と「エンターテイナーだな!」であった。

 推理小説初心者だが、勘付いたところと完全に策にはまったところがあるので、述べてみたい。

 

 この本によると「叙述トリック」とは、「小説の文章そのものの書き方で読者を騙すタイプのトリック」で、「作者が読者に対して仕掛けるトリック」のことである。逆に言えば、「叙述トリック」以外のトリックは、読者よりもむしろ劇中の名探偵や被害者とその親族、警察の捜査班等に対して仕掛けられたトリックと言うことになるだろう。

 自分が過去に読んだ本にもいくつか「叙述トリック」を含む本があったが、振り返ると「もしも、自分が読者ではなくこの劇中を動ける人物ならば、騙される訳がないトリック」であり、「もしも、この小説が映像化されれば、その映像が鮮明である限り騙される訳がないトリック」がほとんどであることに気付く。例えば、仮に「登場人物の鹿山晴子は、実はチンパンジーで自由自在に屋根や電柱を移動できたのだ。」としても、自分が劇中に入ることができたならば、チンパンジーであることなど一目瞭然の話である。仮に「鍵は、僕が川に捨てた。」の「鍵」は登場人物の姓だったとしても、映画でそのシーンがあればすぐにわかってしまう。

 

 まず、「短編集」と言う言葉にハメられた。「短編集」と聞くと一話完結型の話が数話収録されていると思い込むものだが、実はそれぞれの話は想定以上に繋がっていたのだ。ひとつの小説の第1章、第2章・・・と考えた方が正しいかもしれない。

 

 そして、冒頭にはわざわざ太字で「一人だけ、すべての話に同じ人が登場している。」とことわられている。たいていの読者には、その人物が探偵の別紙さんであると思い込むようミスディレクイション(ミスリード)してある。実際は別紙さん以外の人物のことで、この本の骨子のひとつとなっている。

 

 次に、同じく冒頭にわざわざ太字であらかじめヒントが書かれている。あまりミステリー慣れしていないが、できるだけ考えながら読もうとしている自分にとって引っ掛かったのは、「なぜ最終章からヒントを出して、その前、その前と進むのか?」だった。普通ならば、第1章からヒントを提示するものだろう。だと思ったら、小説として前代未聞かもしれない策が巡らせてあった。実は、最後に「あとがき」と言う名のフィクションが掲載されており、その話を最終章としてヒントを追わないと、ヒントがひとつずつズレてしまうのである。

 

 で、読後に改めてページをめくってみると、妙なことがあることに気付く。第1章は「若井は」と若井と言う人物の視点で書かれる。第2章は、堀木と言う男性の視点で「僕は」と書かれたのち平松と言う女性の視点で「わたしは」と書かれることが交互に繰り返される。第3章は第三者が「ハミルトンは」「ウィルは」と彼らの行動を描写しているかと思うと、「私は」が登場して最後にどんでん返しがある。第4章も「私は」である。第5章は「僕は」である。第6章は「私は」である。「この語り手(第一人称)の混乱(統一性のなさ)は、何なんだろう?」と思った人は、どれぐらいいたのだろう?この語り手の統一性のなさが、「一人だけ、すべての話に同じ人が登場している」ことを気付きにくくしている。

 

 第1章については、過去に読んだミステリー小説の仕掛けから、男成常務が女性であることは勘付いたが、この章のトリックの主要部分ではなかった。若井さんが若くないことまでは勘付かなかった。しかも、女子トイレを清掃する者は普通男性ではなく、さらにその名前からも性別に先入観を持たせることに成功している。

 

 第3章については、自分はミヒャエル・エンデの『はてしない物語』、ヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』、喜多川泰の『賢者の書』等の「物語内物語」、「物語の入れ子構造」が好きで、この「物語の入れ子構造」をトリックに使っていて、一番好きな章かもしれない。「何で、いきなり海外の似つかわしくないシチュエーションなんだろう?」と思った人も多いかもしれない。

 

 第4章については、現在20代、30代の人の方が違和感に気付きやすいかもしれない。アラフィフの自分ではダメだ。

 

 第5章については、格闘技マニアの自分としては、ムエタイ選手のチャンプア・ゲッソンリット、チャモアペット・チョーチャモアン、ブアカーオ・ポー・プラムック、ガオグライ・ゲーンノラシン等の名前がスラスラ出てくる人間であるにもかかわらずである。シュートボクシングで平直行に膝蹴り入れまくったのがロミサンで、大道塾の長田賢一がタイで急に戦うはめになったチャンピオンがラクチャートで、UWFインターのスタンディングバウトに出てたのがボーウィー・チョーワイクンで、天を突く膝蹴りがディーゼルノイと覚えているのもかかわらずである。迂闊だったとしかいいようがない。

 

 第6章については、「なぜ、東口と西口に監視カメラを置いて、こけしの前に設置しないのか?」は自分も思った。それは、物語の核心と結びつくからである。

 

 で、物語の核心部分である。まず、「同じ人物が、医者とバーテンダーと探偵を掛け持ちするのは、無理があるだろう。」と感じたのが1つ目。第5章のタイ人が、実は2人だったのを知ったのが2つ目。文中の「別紙一族」の「一族」と言う単語が引っかかったのが3つ目。以上3点から、「別紙」と呼ばれる人物は2人、もしくはそれ以上の複数と推理した。この推理は正しかった。しかし、ウミちゃんはなぁ・・・

 この作品は「小説の醍醐味」であり、映像化したらバレバレよなぁ。