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山麓にある白國神社(白国神社)に初めて寄る。
 
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弁天池と新緑の広嶺山。山上の白い建物が、セトレ・ハイランドヴィラ。
 
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廣峯神社(広峰神社)。
 
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参道で、ハンミョウ(ミチオシエ)とご対面。肉眼で見た方が、もっときれいな光沢。
 
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廣峯神社からの展望。右側にうっすらと宙に浮いて見える島が、家島諸島。
 
 
 広嶺山(広峰山)については、2013年9月にソーメン滝→増位山→広嶺山と縦走したことがあります。
 
 しかし、曇り気味で、空気中の湿気が多く、あまり満足のいく展望ではありませんでした。
 このたび、降水確率0%、雲一つない快晴の日に恵まれ、再び自転車で訪れてみることとしました。
 前回は寄らなかった、広嶺山の麓にある白國神社(白国神社)にお参りしてから登り始めました。
 
 整理してみましょう。麓にある小学校が「広峰(ひろみね)小学校」。麓にある中学校が「広嶺(こうりょう)中学校」。国土地理院の地図上の山名は「広嶺山」ですが、地元では「広峰山」とも表記されます。姫路市の行政町名としては、山がある場所は「姫路市広嶺山」で、別の場所に「広峰1丁目」「同2丁目」も存在します。神社の表記は「廣峯神社」または「広峯神社」です。
 廣峯神社に祀られているのが牛頭天王(ごずてんのう)で、京都の八坂神社には、この神を分祀したとも言われています。牛頭天王は、素戔嗚尊(スサノオノミコト、須佐之男命)と同一視されています。麓の「白國神社(白国神社)」の由来は、「新羅国神社」「新羅訓神社」とも言われていて、この地には、渡来人が住み着いたと思われます。牛頭天王も渡来系の神であり、「廣峯神社」ー「牛頭天王」ー「白國神社」は、一本の線で繋がるように思えます。
 広嶺山の西に夢前川を挟んで、書写山(しょしゃざん)があります。現在は圓教寺(円教寺)のある仏教系の山ですが、昔は「そさやま」と呼ばれたと言われています。麓の中学校は「書写(しょしゃ)中学校」ですが、麓の小学校は「曽左(そさ)小学校」です。「そさやま」の「ソサ」は、「スサノオノミコト」の「スサ」と関連があるとも言われており、もしそれが本当だとすると、もともと広嶺山と書写山は、同一の神を崇めていたのかもしれません。
 
 さて、増位山、広嶺山とも、自動車で山上まで上がることが可能です。ちなみに書写山も、関係者の車のみゲートを通過して西坂から山上まで行くことが可能です。広嶺山も、自動車道路以外の山道がもともとあったようで、一番わかりやすい部分は、平等大慧会と言う宗教施設の右側(北側)から登り始め、セトレ・ハイランドヴィラの下側(南側)に出る道です。
 
 廣峯神社に着く直前の参道で、ハンミョウ(別名ミチオシエ、ミチシルベ)とご対面しました。人間が近づくと、少しだけ飛んで道の向こうで止まって待っているように行動するので、別名のように呼ばれています。4枚目の画像の通りですが、肉眼で見た方が、赤やら青やら緑やら、もっと虹色に見えて美しいです。
 
 前回、廣峯神社からさらに登って、広峰薬師堂、荒神社&吉備神社と歩きましたが、荒神社・吉備神社の辺りを白幣山(はくへいさん)と呼ぶらしいです。
 
 廣峯神社休憩所からの展望は、雲ひとつなく、前回よりも素晴らしいものがありましたが、花粉や黄砂の季節でもあり、木庭山や綾部山や須磨の鉢伏山ほど海岸に近い訳でもなく、海(播磨灘)はそれほど鮮明に見えませんでした。
 
 前回、上記リンク先で、勝手に「アナザー広嶺山」と名付けた位置を、GPSを頼りに近づこうとしましたが、近畿自然歩道から離れて、藪や沢を越えないと辿り着けないようで断念しました。測量関係や林業関係の方以外は、近づくべきではないと感じました。
 
 次回は、広嶺山から弥高山へ抜けたいものです。
 
 
 
 
 
 
 
 

※関連リンク先

「山歩き まとめ(改)」 
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12624377490.html