自分の中で、「本来ならもう二度と体験できなかったはずの何か」と「いくらあがいても戻ることのできない何か」が交錯して涙腺をゆるませる・・・
 
 以前、「BEATCHILD」上映前に以下の記事を書いた。
 
 
 遅まきながら、「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987」の感想を書いてみたい。ちなみに、兵庫県内のイオンシネマではすでに上映は終了している。
 
 自分にとって、この「BEATCHILD(ビートチャイルド)」は、何重もの意味で「幻」であった。このロック・フェスティバルはオールナイトだったため、18歳未満の入場はできなった。第一、それほど裕福な家庭でもなかったので、九州までの交通費などどうやっても捻出できなかった。ロックやポップスと出会う機会は、もっぱら友達から借りたカセットテープだった。さらに、VHSビデオ時代に一度もビデオ販売されていないことでもわかるように、これだけさまざまなレコード会社と音楽事務所が関係していれば、権利関係がこじれて商品化は難しい。知っての通り、尾崎豊はこの世にはおらず、氷室京介・布袋寅泰の両者は、すれ違いを繰り返す。岡村靖幸は、尾崎とは違うかたちで落ちぶれていった。HOUND DOGは、一匹狼ならぬ一匹犬に成り下がった。そして、このたびの映画(フィルム・コンサート)で信じられない映像が、網膜に飛び込み続けてきた訳なのだが、それはLIVE(ライブ)であって、LIVE(生)ではなかった。信じられない音や顔と再会できたことは「幻」であったが、スクリーンに移っているものがLIVE(生)ではないことにおいても「幻」であった。また現在の判断ならば、これほど豪雨となってはイベントが中止になってもおかしくはない。「本当ならば、尾崎とBOΦWYの両者が参加する予定だった究極のイベント」として、中止になったことが伝説化していてもおかしくはないのだ。そう言った意味でも「幻」である。
 
 尾崎豊が死んだ後になって、美空ひばりや沢田研二らを撮り続けた映像作家・佐藤輝が、おびただしい量の尾崎豊の未公開映像を残していたことを、NHKのBS放送で知った。(不思議なのは、当時全く無名の尾崎豊のデビューコンサートを、なぜ撮影し保存することになったのか、である。)そして、その中でときおり登場したのが、「熊本BEATCHILD」で、豪雨の中「Bow!」を歌う尾崎の姿である。当時は、その「熊本BEATCHILD」がどのようなイベントで、誰が出演していたのかまでは知らなかった。のちに、尾崎豊と氷室京介に接点はなかったのかと調べていたら、このイベント内容を知ることとなった。また、昔月刊カドカワ(1991年4月号?)の「総力特集 氷室京介」では、当時同誌に連載を持っていた尾崎豊が、氷室へのメッセージを残していたはずである。多分にリップサービスを含んでいたのかもしれないが、新宿ロフト時代に接点があったことを述べたり、その後互いがビッグになって同一イベントに出演したときにちゃんと挨拶ができなかったことを詫びていたりする内容だった。どうも、この熊本のイベントと言うのが、「BEATCHILD」のようだ。
 
 
 そして、尾崎豊の死後、追悼フィルムコンサートとして、当時はビデオ化、DVD化されていなかった「625DAYS(もっともっと速く!)」と呼ばれる佐藤輝の作品が全国で上映され、観に行った。また、1996年に、有明コロシアムのフィルムコンサートがあったときも、観に行った。自分にとっては、それから17年後に、佐藤輝作品をフィルムコンサートとして鑑賞することとなる。しかも、美里もBOΦWYもみんなやってくる奇跡・・・
 
 はっきり言って、音楽が一曲も始まらないうちに、当時流行の髪型と服装をした若者たちが会場に集結していく姿を見ただけで胸が詰まった。涙腺がゆるんだ。しかし、スクリーンの中の観客は、豪雨に打たれ、泥川に足を突っ込んだまま12時間も、「音」のために戦い続けていたのだ。よほどのアウトドア的な趣味を持たない限り、このような体験を一生のうちにすることはないだろう。実際、何人もの観客が倒れ救急車で運ばれている。それを思うと、エアコンで適温に調整された映画館の中で、ポップコーンをコーラで流し込んで観るようなシロモノではない気がしてきた。既に述べた「625DAYS(もっともっと速く!)」上映のときと同じく、体中の力を抜くことができぬまま、鑑賞することとなった。
 
 上映の冒頭と最後に、ナレーターの「ベイビー大丈夫かっ?」の声がリピートする。これは、当時のスクリーンの若者たちに発していると同時に、今この映像を鑑賞に来た当時の若者たちに発した意味合いの方が強いと思う。あのとき、ロックのビートや歌詞に胸を熱くした自分たちは、今社会でどのように動き、当時の気持ちを温存しているのか?夢のとおりに行かないこともある。あのときのアーティストの言葉どおりに行動して、失敗したこともある。惜しくも、既に命を落としてしまった同輩さえもいる。
 

 あの頃「サラリーマンにはなりたかねえ!」と叫んでいたはずの俺が、
 「ボルト&ナットのしくみで組み込まれる街で」
 「金か夢かわからない暮らし」に埋没していく・・・
 
 スクリーンの中で、渡辺美里が「19歳の秘かな欲望」を歌う。
 「来週も十年先もただのTomorrow」と簡単に割り切れない自分がいる。
 俺にとっての「SOMEDAY」は、胸の内だけで終わってしまうのか?それとも「来週」なのか?それとも「十年先」なのか?

 
 この熱き「幻」を、明日へと、さらに次の日へと生きる力に変えて・・・

 「大丈夫か?」「ああ、何とかやってるぜ!」
 
 
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