内々神社 内津妙見寺を回った今回の外出は休日15:00過ぎに出かけたため内々神社を見て 中華亭本店で軽く食べて帰ろうとするプランでした
中華亭本店で向かうわけですがいつも19号と多治見の街がしっくりきてなくてこの場でちょっと考察
いつも
赤い矢印で変な右折をするんですが(左から来る場合緑では曲がれないので)
緑から入る斜めの道がきっと旧道なんだろうなとぼんやり思っていました
今昔マップ1888年を見てみたら
たしかにこれが旧道のようです
あとここから入って左折して上の池田村に入るのはイメージ
そもそも多治見の街が
こんな風に4つ位のパートに分かれていて(赤丸が今回の目的値)
今の地図にすると
こんな感じ
https://www.tajimi-bunka.or.jp/lib/wp-content/themes/lib/image-local-pdf/kawa12.pdf
を見ると
名古屋から下街道として川北を回るように市内を通るのがスジらしい
で Wikいると
下街道(したかいどう)は、日本の街道である[1]。江戸時代に中山道と名古屋城下を結んだ脇往還である。善光寺道、釜戸筋、内津道、名古屋道、伊勢道とも呼ばれた。
概要
中山道の大井宿と大湫宿の間にある槙ヶ根追分から、釜戸、内津を経て名古屋城下の伝馬町札の辻まで、土岐川(庄内川)の沿岸を通る全長15里の街道。現在の国道19号に相当する。
「日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰りにこの道を通った」と言う伝説があり、街道としての歴史は古い。土岐川は、川底が浅く急流であったために水運が起こらず、陸路としての下街道が発達した。
槙ヶ根追分が→ そこから緑 中山道 と橙 下街道
なるほどねえ
さて中華亭本店に16:00ころ着いたらもう早じまいしていた
残念
周囲を車でうろついた際に見つけたのが今回の新羅神社
駐車場があったので参拝した
立派な構えです
手水
この道路 おそらく暗渠でこれが境界川だったと思う
末社
裏の入り口
後ろ姿
磐座かな??
向かって左は
いつものWiki様
新羅神社(しんらじんじゃ)は、岐阜県多治見市御幸町2丁目99番地にある神社。社格は旧郷社。
多治見村(田只味郷)の産土神とされている。古くより厄除、災禍除に御利益があるといわれ、延命長寿、安産祈願、家庭円満の神社として信仰されている。
西之宮大神(蛭子命)が合祀されており、毎年1月5日の初えびすは賑わう。
金幣社であり、多治見市金幣三社(新羅神社・本土神社・白山神社)の一つである。
拝殿
創建時期は不明。奈良時代前期、この地域(田只見郷)は新羅系の氏族が住んでいたことから、新羅系氏族の祖神を祀ったのが始まりという。平安時代の美濃神名帳の「従五位下田只見明神」と記述されている。
鎌倉時代、多治見氏により八幡神が合祀される。室町時代の応永年間には建速須佐之男命が合祀されている。
明治末期から昭和中頃にかけて、境内の北側周辺には東濃地方随一の遊郭であった西ヶ原遊郭が存在した。
新羅系は製陶関係社かな
今昔マップで遊郭跡は確認できなかったが
土地は十分ある
〒507-0834 岐阜県多治見市御幸町2丁目99