越前国 二の宮
また織田氏の里
Wiki
織田一族の発祥地は越前国織田荘(現・福井県丹生郡越前町)にある劔神社である。本姓は藤原氏(藤原北家利仁流?、のちに桓武平氏資盛流を称する)。実際は忌部氏の流れを汲むとされる。
ただし織田荘は おだのしょう ではなく おたのしょうと読む
おたのぶながであるらしい しっくりこない・・・
劔神社の HP
御祭神
素盞嗚大神(すさのをのおおかみ)
氣比大神 (けひのおおかみ)
忍熊王 (おしくまのみこ)
ご由緒
劔神社の創祀は悠久の昔、遥か北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り、〝劔大神〟と称えたことに始まります。
神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を治めることができたことを感謝し、現在の地に社を建て〝劔大明神〟と仰いだことを社記は伝えています。
奈良時代より祈願の霊場と尊ばれ、朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受けてきました。現在所蔵する国宝の梵鐘は、第四十九代光仁天皇の御奉納といわれています。
中世以降は、朝倉氏を始め武将の崇敬も厚く、特に織田信長公は氏神と崇めて、格別の信仰をもって神領を寄進するなど、神社を保護しました。
江戸時代の末には、伏見宮家の御祈願所と定められ、拝殿の御寄進をいただき厚い尊崇をうけて今日に至っています。越前国二の宮として一の宮の氣比神宮と共に、福井県民はもとより県外の方々からも篤い信仰を受けている神社です。
忍熊王は仲哀天皇子子供
仲哀天皇は気比神社にも出てくる
この頃に北陸を合併したのだろうか
仲哀天皇の父親は日本武尊 奥さんは神功皇后 子供は応神天皇 そう 八幡様
このあたりは武人が多く大和朝廷による全国制覇の時期なのだろうか
駐車場がよく分からず北の方から入った
星印
丸の所にも駐車場がありました
そこに車を停め進むと
猿田彦神社がありました
こっちの方がお先にいらっしゃったのだろうか??
そこから進むと
忠魂社
水木稲荷神社
庚申宮
天満宮
を経て 大鳥居
ここがさっきの○の駐車場があるところです
参道を行き
拝殿に
向かって左の薬師神社
ご神木 祓所
おもかる石
真清田にもある
織田神社に
小松建勲神社
奇稲田姫神社
かわらけ割斎場
再び拝殿
顔出し
本殿の後ろに回る
北入口
博物館
入ったけど人がいなかったのですぐ出てきました