色即是空 空即是色 | むうすけのブログ

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愛知県尾張地方から
寝覚め良き 事こそ成さめ 世の人の 良しと悪しとは 言ふに任せて

 

ここに関係するんだが・・・

性が2つではなく連続変数としてどの値も取りうるのみでなく、個体の中でも性ホルモンの働き等で性の位置が変わりうる、つまりは僕らはいつでもLGBTQなどになりうるという考え方は僕にとって大きなパラダイムシフトであった

LGBTQが何かかわいそうな人たちだからそれを守りましょうではなく、我々と同じだから尊重しましょうでもなく、我々もいつそのような状況になるかもしれないつまり他人事ではないと言うことだ

 

表現される性が実は変化しうる つまり同じ状態ではないということは仏教の 色即是空 と同じ考え方ということと考えた

目に見える表現型〈色)自体に本質はなく DNAやホルモンの働き(魚などでは温度など)で流動的に変化するもの(空)である  空は何もないという意味ではなく(それは虚無という言葉)恒久的で変化しないの実体ではない 流動的に変化するものということ

色即是空はわかる

 

だが空即是色がわからない

 

変化する流動するものがすなわち色ということは何を意味するのだろう

 

そもそも色は何だろうか

 

色を僕らが認識できうるものと考えれば 僕らが感覚等でとらえうるものということなんだろうか

となれば実体のない流動的に変化するものが色と言うことは 空は認識でしか捕まえることができないということなのだと考えた

 

認識は感覚という言葉でも同じだろう

見るにしろ 聴くにしろ 触るにしろ 味にしろ 感覚無しでものをとらえることはできない

 

少し話は変わるが

以前友人がある批評家の意見を”感覚でしかものを言っていない”と批判したことがずっと胸に残っていた

感覚でものを言ってはいけないのだろうか・・・・と

 

思考や理論は必ず破綻する 矛盾を抱えない思考や理論はない

そこを補正するのが感覚だと僕は考えている

 

とすると友人の 感覚だけで という言葉は適切ではなく

ありきたりの常識 陳腐な思想 先入観にまみれた発想 深く考えのない理屈でしかものを言わないということに言い換えればすっと胸に入る

 

感覚は研ぎ澄ますことができる

感覚を磨かないと認識が鈍くなる

そうすると陳腐な物語でしかものを語れなくなる

 

ブルースリーの Don't Thnk、Feel!も同じ

真理の言葉を聞いて真理が手に入るわけではない

 

 

ではなぜ感覚は鈍るのか なぜ陳腐な物語に人ははまるのか

 

僕ら生き物にとってもっとも重要な事は敵から逃げること、食物を得ることである

しかしそのために感覚をFullに敏感にしておくと疲れる 

 

常に感覚を研ぎ澄ますことはエネルギーを使いすぎるから 進化適応の過程で省エネモードに入ることができるようになったためではないだろうか

 

不安を陳腐な物語で麻痺させておけば不安は減る

麻痺させすぎてしまってもいけないが必要医序にエネルギーを使うのも生存に適さない

 

変な例だが

僕が好きな雑草の話

多くの人には目に入らない小さな花がある

虫は生きていくためそれらを必要として見つける必要はあるが人間にとっては無駄なものなのである

見つけても利益がないから多くの人の眼に入らない

(僕がそういった花を見つけることを虫の目になると表現している)

 

 

空即是色は 空を得たければ感覚を研ぎ澄ませという意味

実体のない 流動的で変化する何かが真理としてもそれを得るためには感覚で手に入れるしか人間にはできないということだ

 

真理の言葉を(そういうものが存在したとして)聞いても真理を手に入れることはできない

常に感覚を研ぎ澄まして真理を感じ続ける必要がある 

それは結構大変なことだと思う

 

色即是空 空即是色を聞いただけでは何も得られない

僕らの感覚で世界を感じ続けてやっとそこから空(実体のない流動的なもの)を得られるのではないだろうか