靖國八千代食堂(九段)の鳥濱トメの玉子丼 | 夢酔亭主人のオムライス食日記

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出張記事で掲載が遅くなったが、数日前に九段の靖國神社に参拝。
 
以前は8月15日に参拝していたが、反対派が大騒ぎし機動隊が交通規制をかけるような騒々しさが嫌で、15日以前に参拝するようになった。
 
靖国神社は大東亜戦争の戦没者だけ祀られているのではない。
 
戊辰戦争以来、日清、日露、第一次大戦と日本のために戦い、殉死されたすべての軍人を神様として祀ってある。
 
「遊就館」に展示されている零戦。
 
実際に見ると思っていたものより小さい。

 

  お店紹介

 
外苑にある「靖國八千代食堂」さん。

 

  お品書き

 
「鳥濱トメの玉子丼」を注文。
 
鹿児島県にあった知覧特攻基地。
 
米軍の猛攻にさらされている沖縄を救うべく、連日特攻機が飛び立っていき多くの若者の尊い命が失われた。
 
「富屋食堂」の女将鳥濱トメさんは全国から集結してくる特攻隊員を我が子のように可愛がってお世話したことから、「特攻の母」と慕われた。
 
食糧事情が悪い中、農家を歩き回り自分の着物と引き換えに卵を分けてもらい、出撃前の隊員に「玉子丼」をふるまっていたそうだ。
 
戦後トメさんはこう証言している。
「みんな死ぬのは怖いと震えておったよ。でも僕が行かなきゃ家族が死ぬと飛び立ってがいった」
 
飛び立てば二度と帰えれぬ隊員たちも辛かっただろうが、最期の玉子丼を作るトメさんも辛かっただろう。
 
靖国外苑の再整備を行う際に「不二楼」グループの社長高橋氏によって、特攻隊員が最期に食べたそのままのレシピで復元したいとの強い想いで完成した。
 
超多忙な経営者でありながら、この店がオープンしてからは可能な限り厨房に立ち玉子丼を作り続けられておられるそうだ。
 
汁は富屋食堂から直送し、食材もすべて鹿児島から取り寄せている。

 

  お料理到着

 
●鳥濱トメの玉子丼(1,100円)
 
鳥濱トメさんのお孫さんや富屋食堂ホタル館の協力でトメさんの味を正確に再現した玉子丼。
 
それではいただきます割り箸
 
甘味のある九州の麦味噌。
 
鹿児島県名物つぼ漬け。
 
七色をパラパラとふりかけ・・・
 
とろとろの半熟玉子。
 
知覧から直送されるツユはたっぷりのつゆだく。
 
お米は靖國神社に献納された福島県会津美里町産。
 
味付けはとても甘い。
 
当時は玉子以上に砂糖も貴重だっただろう。
 
親子丼でもかつ丼でもなく、玉子とほんの少しの玉ねぎだけの質素な玉子丼。
 
これが若い特攻隊員の最期の晩餐と思うと、涙が止まらない。
 
玉子丼を食べ終えた彼らは、二度と帰れない日本を後にして沖縄へ飛び立っていった。
 
ふと、窓の外の社殿を見ると、若い隊員たちが、「おばちゃんの玉子丼美味しいでしょう!」とにっこり笑ってくれているような気がする。
 
この記事を読んで、靖國八千代食堂の玉子丼を食べてみたいと思われた方がいればぜひ食事の前に参拝していただき、たった一言でいいので「ありがとうございました」と手を合わせてほしいと願います。
 

美味しい食事をいただき感謝をこめて

「ごちそうさま!」
 

本日の名曲コーナー 

 

 

長渕剛「 CLOSE YOUR EYES 」

昨日も書いたように、私は大東亜戦争が正しかったか間違っていたかを論ずる気はない。ミラーボールのように光も影もある。

 

開戦当初は連戦連勝でアジアから白人を追い払い、彼らに苦しめられていた植民地が次々に解放され、まさに日の出の勢いだったが、昭和17年から次第に形勢は逆転されていく。
 
昭和19年、サイパン島を奪われると連日日本への空襲が激しさを増してきた。
 
民間人を攻撃することは当時も国際法で禁止されている。
 
然るにアメリカは平気で国際法を踏みにじり、罪もない民間人を攻撃してきた。
 
赤十字旗を掲げた病院船や、沖縄の小学生を疎開させる輸送船をも躊躇なく撃沈した。
 
東京大空襲では最初に円形に焼夷弾を落とし、人々の逃げ場を失わせてからその円の中を焼き尽くした。
 
白人国家のドイツには落とさなかった原爆。広島にはプルトニュウム、長崎にはウラニュウム原爆を使用したのは効果を確かめる恐るべき人体実験。
 
これらの非人道的な行為に対し、日本はもう防ぐ術がなかった。
 
日本を、故郷を、父母を、家族を、我が子を、恋人を守るために、若者は飛行機に爆弾を付け、敵の船に体当りする「特攻隊」しか方法がなかった。
 
作戦なんてものじゃない。滅茶苦茶な戦法だ。
 
しかし隊員たちは純粋に、自分の死と引き換えに愛する人々を救おうとしたのだ。
 
隊員の多くは17歳から25歳前後の若者。離陸はできても着陸は危なっかしい未熟な腕で、機体には250kg爆弾を抱えている。
 
待ち構えているグラマン戦闘機にバタバタと落とされ、敵艦からは雨あられのような対空砲火。
 
95%の特攻機は敵艦を目の前にしながら火だるまになって海に落ちていった。
 
悔しかっただろう。
 
彼らの死を、犬死にだったとか、自爆テロと同じだとか、したり顔でのたまう学者センセーもいるが、同じ日本人として一片の涙も感謝の気持ちも持ち合わせていないのかと憤りでいっぱいだ。
 
なぜ、感謝の気持ちを込めて手を合わせることができないのか。
 
なぜ、死者に平気でムチ打つのか。
 
靖国神社に参拝するたびに英霊に問いかけるんだ。
 
「あなたたちが命と引き換えに守ろうとしたのは今のこんな日本ですか」
 
戦後アメリカからたった7日間で作った憲法を押し付けられ、妾として生きてきた78年。
 
もう、いいだろう。
 
一人前の国として、日本人として、誇り高く生きていこうよ。
 

 お店情報

・靖國八千代食堂
・東京都千代田区九段北2-1-4 靖國神社外苑休憩所
・ https://yasukuni-yachiyo.com/
・営業時間 10:30~17:00
・店休日 無休