眼鏡橋より寺町へ向かってまっすぐ歩き、晧臺寺(こうたいじ)へ。

裏山は山頂まで延々と急な坂道が続く墓地。

「オー・マイ・リョーマ」の主役は、海援隊士文司、龍馬の秘書の長岡謙吉。
長岡は龍馬の遠縁の親戚にあたり、龍馬の死後、2代目海援隊隊長となり、三河県知事に就任するなど、有能振りを発揮するも、若くして胃病で没しました。

その長岡が長崎留学中に学んだのが、二宮敬作と、その師であるシーボルト。

二宮敬作と、シーボルトの妻、瀧と娘のイネの墓に手を合わせ、さらに墓の合間を縫いながら坂道を歩き、

亀山社中の同志に内緒で海外に留学しようとし、それか露見した事で仲間に責められて腹を切った近藤長次郎の墓に。
墓石の字は坂本龍馬の筆と呼ばれています。
長次郎は饅頭屋の息子。武士でなかった彼は勉強と努力で、名字帯刀を許され、武器の輸入の斡旋で長州藩主より直々に感謝の言葉を賜るなど期待された人物でしたが、グラバーの仲介で密航しようとするも、天候不良で失敗。仲間に相談しなかった事を責められて小曽根家で切腹しました。

そして、海援隊の後援者で、海援隊の本部にもなり、経理を担当もした長崎の豪商、小曽根家の墓所。
龍馬を支えた、小曽根乾堂、英四郎の墓を参りました。

このまま急な坂を登りきり、山頂の風頭公園へ向かいました。