とにかく、何でもかんでも「連携」である。
twitterでつぶやいた事まで、Facebook で連携され、MySpaceで連携され、ここでまで連携される。

そもそも、何で、そこまで「何でもかんでも、連携されなければいけないのか?」という話だ。

例えば、twitter本体で、この手の話題は見たくないな・・・と思ってシャットアウトしたはずの情報が
他のところで、結局その垂れ流しを目にする事になる。

同じつぶやきを、結局「どこに行っても見る」事になる。
そうすれば、そんなものは、結局、いつの間にか、誰も真剣に読まなくなると思うのだ。

特に「日常垂れ流し」系の呟きが、
真に伝えたかった情報さえもマスクしかねないことを、忘れてしまっているような気がする。

とかくね。

君の日常の話まで、僕は、全て知りたいとは思わない。

君が、誰と飲み、誰と会話し、誰とどういうことをしているか、
それを、オープンにしているのは、君の自由だとしても。

相手方が、それを望んでいない場合、
つまり、相手方は、別にそこまで親しくない人の
「そんなこといちいち知りたくない」という情報まで垂れ流される事になる。

緊急回線を維持しておきたいだけの人、というものもいる。
相手がそこしかやっていない、という事情で、それしかコンタクトの取り様も無い人もいて、
やむを得ず、こちらが、回線を空けておかねばならない場合。

そこに「願ってもいない情報」が大量に駄々流しされても、
僕らは、その情報を「見る必要の無い情報まで、受信しないようにする」設定が不十分なのだ。

ましてや、連携された所でもそれを見る。どこへ行ってもそれを見る。
あえて、twitter を見ないようにしているのに、ここでまで同じ情報は垂れ流されている。

mixi というものにさえうんざりしてしまった僕は、
そろそろ、Facebook というものにさえ、うんざりしてきている。

受信したくない情報まで受信しない、という権利は、まだ、僕らには許されていない。
発信側が、幾ら細かなレベルで情報設定できたとして、
こっちが「友達」と思ってない人からまで、勝手に「友達」扱いになって
こっちが見たくも無い情報まで垂れ流されるというのは、あまりにもたまらない話だ。

なら、読まなきゃいい。
いや、勝手に「連携」によって、駄々流しにされている。
その駄々流し設定に関して、あまりに君の注意が低い。

そもそも「友達」だからって、これをやっていいわるい、のさじ加減というものも、
人によって、曖昧なものだ。

そもそも、君が、恋人と、いつ、どこで、誰と何をしたか、などという話を、
たんなる「外野」でしかない僕が、外から見たいとは全く思わないし、
君の恋人が「誰か」などということまで、僕は、オープンにしてもらいたくない、と思っている。

そもそも、君の家族が誰か、君の友人が誰か、まで、
フルオープンに公開されている、というのは、ある意味危険なことだと思ったほうがいい。

というのは、そこに「意図しない犯罪者」が紛れ込んだ場合、どうなるか、を考えてみたらよいのだ。

「こいつが憎い。こいつの友達家族も含め、すべてこの世から消してやる。」

そんな時に、君が「全ての人間とのオープンな関係」を暴露していたとして、
その繋がりをたどって、犯罪者が、
君だけでなく、友達を害したら、どうなるのかを考えてみたらいいのだ。

繋がっていることを、他人に知らせる、というのは、時に極めて危険であり、
だからこそ、繋がり自体を「あえて隠したい場合」というのも、間違いなくあるのである。

俺は友達が多い、と中途半端に見せびらかしたい人間にとっては、
あの友達の数、というのは、とても魅力的なものなのかもしれないが、
本当に誠実に付き合えるだけの数、というものは、かなり限られたもののはずだ。

だから、50人限定のPathというSNSまで出てきてしまったのだが。
こないだiPhoneアプリが、勝手に連絡先情報を受信していた事が発覚して問題になってたが)、

結局、こんなPath なるものが出てきた段階で、
また次の時代は「グローバル・オープン・ネットワーク」を名刺代わりにして、
mixi めいた Pathのような「ローカル・クローズド・ネットワーク」で、
影で、こっそり使って、秘密を共有するのだろう。

ばっかばかしい。

僕は、「一私企業」の提供する空間上で、他人との大事な話や繋がりを明かすこと自体、
どうしても「違和感」があって、仕方が無いのである。

ピグのひそでさえ、第三者に盗聴されている可能性がある、と思っている。
ここでは明かさないけど、別にできないわけでもないんだもの。

電話より盗聴が簡単なのに、よく、こんな所で大事な話してるよなぁ、と。
僕は、電話にだって守秘性を信じてないから、
本当に大事な話に関しては、結局、直接会って話すしかないのだが。

そもそも、相手が、そういうことを意識しないで、
人間関係や出来事をだだもれに暴露するタイプだった場合、
ネット上には、秘密などまったくないものだ、と思っている。

今は、そのリスクを負わなければ、他人との関係を増やせない時期なのだと思うが、
それにしても、周辺の人たちが、
あまりに「情報漏えい」のリスクに対して、注意がなさすぎることに懸念している。

君を苦しめるためだけの目的で、第三者が、その友達を害そうとする場合もあるだろう。
或いは、他人がその友達を利用して、君を害する事もあろう。
そうしたら、君は、その友達全てを守るだけの力があるのだろうか?
そういった、第三者の悪意を、すべて守りおおせるほど、いまのSNSは「便利なもの」ではない。

この程度のアプリなどでは
「全て置き換えができない」くらいの「複雑なさじ加減の社会」に僕らは生きている。

あえて見ない、知らないでいるからこそ、保たれている「やすらぎ」というものもある。

結局、僕は、もう少ししたら、Facebook をやめる事になるだろうと思う。
いや、やめはしないだろうけど・・・もっと、繋がり自体を希薄にすると思う。

Facebook は、僕にとって、別れてしまった友達を探すための「レーダー」なのであって
あれを「コミュニケーションツール」と考えていないのですよ。

だから、あそこに情報を一切載せない事にしてるの。

それに、知りたい人と繋がれたら、僕は、その連絡先を維持するだけで、
自分との関係を、非公開にするだろうからね。

だいたい、だれだれと友達になりました、まで、いちいち知りたくないわ。

第三者や、友達の友達にまで、友達との関係を知られたくないし、
何でそこまで全ての情報をオープンにしなきゃいけないのか、理解に苦しむ。

僕は、君の生活の内情まで「Peeping Tom」していたいわけではない。
そして、そこまで、知りたくない、読みたくない、という人も、間違いなくいるのである。

うーん・・・。SNSばかり、あちこちに増やして、
それに頼らなくても、いい気がするんだよね・・・。

そのSNS全てを監視して、チェックなどしていたら、それこそ、きりがないのだ。

メールや携帯電話にも即応答出来ない人が、twitterの他人には、ほいほい応答していて、
それが「どう考えても、こっちの方が優先のはずだろ?」という話だった場合、
見ている人間としては、かなーーーーり、不愉快な思いをすることになる、という事もお忘れなく。

僕が、ブログで、あんまり日常を書かないのも、書きたくないのも、
Renという人格というものは、一つの「役割」というか、「機能」なのであって、
普段の僕の本体の人格全てではないのだから。
そこまで、いちいち詮索して欲しくない、というか、詮索されたくないということ。

僕は、あくまで、一個人ではあるけど、一個人の人格の一部である。全てではないのだ。
ある意味「Musu Bore 株式会社 代表 Ren 」としてこの場にいるのであって、
個人レベルというのと、微妙な感じで、意味が違っているのです。

この文章も、私個人の「想い」を赤裸々に綴っていながら、
その反面、Musu Boreの「Ren」としての告白であり、
TABスケート部の部長としての役割で書いてるから、
それに関係の無い「余計な事」まで書いてはいないと思うのだけど。

だから、意味不明なのよね・・・Facebookの方が、素顔をさらすのは危険な場所なのに、
あっちで「顔をオープン公開」しといて、こっちで「顔を隠していることの意味」が。

全く意味が無い。
「頭隠して尻隠さず」というのは、正にこのことである。

そもそも Twitterと Facebook 連携してたら、そこから全ては、だだもれじゃないの?

むしろ、世界中のビジネスマンの前での関係構築の可能性を訴えている「あほたれ」は多いが
実際は、世界中の犯罪者とも、自動的に関係構築や検索されてしまうような
オープンネットワーク上で顔や関係をさらしているのだから、
どっちが危険かっていったら、言うまでも無いだろ、と思うのだが。

いや、君の隣のやさしそうな人が、
明日、猟奇殺人者にならないというだけの安全保障はあるのかね?
そして、その関係を知られたことで、被害者が増えてしまった場合、
君は、ある意味、間接的な加害者になってしまいかねなくて、
生死の別を問わず、その友達を喪ってしまった時に、
君が悔やんでも悔やみきれない「哀しみ」を負う事になるだけなんだが。