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さて、ギフティッド・チルドレンという子供たちのことが報道されております。
ときに、41年前 すなわち 昭和57年(1982年)の今日 つまり 4月15日に、以下の便りを 両親に送りました。
すなわち、
「お父さん、お母さん、申し分けありません。
やはり この大学の学部は 僕には 適しません。授業は 簡単過ぎて つまらないし(自分が馬鹿になっていくような気がします)、第一に 友だちが 僕には 全く 合いません。駿台(予備校のこと)の方が 良かった。授業は 面白かったし 友だちは居たし。苦しくて 仕様がありません。もう1度 浪人したいと思います。御免なさい。」以上であります。すなわち、上記の ギフティッド・チルドレンが、「授業は 簡単過ぎて つまらない」と話していたのと 同様であると思われました。
但し、数年前 家政婦さんに 話したときに 同意して 支持してくれましたが、約半年間は 頑張って 続けました。
ところで、去る 5年前の7月30日(月)の「医学部のこと(父親の食事)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る5月8日(火)の『鰻の蒲焼・118(定期試験・お裾分け・父親の食事)』のブログの中段やや上に、
『(前略)学部1回生の頃に 定期試験の際、後ろの席の学部生から 答案を見せてくれ と言われました。そして、この次の定期試験のときも 【頼むな】と言われました。(後略)』と記させて頂きました。これも、この寮生活のときのことであります。因みに、6年間 この関係になると思われました。なお、このように 寮生活でしたし その 後ろの席の学部生とは 同じ赤松寮(男子寮)でしたので、上記の 担任制度の教官に伝えることは 考えつきませんでした。序で乍ら、このことが、以下に 記させて頂きますように、この某・大学を受け直すことになる 大きな理由であります。
結局、この某・大学には 2年間 籍を置いて、受け直しました。そして、誠に有り難いことに、明治時代の初めから 存在する 伝統のある医学部に入学しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、前述の 去る 5年前の7月30日(月)の「医学部のこと(父親の食事)」のブログに 詳細の経緯を記させて頂きましたが、結局、上記の 大きな理由で 大学を受け直しました。但し、両親には 心配を掛けて 誠に申し分けなく思います。本当に 御免なさい。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
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