最初の お弁当 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 8年前の2月15日(日)の「落書きの効用」のブログの上段に、

「(前略)幼稚園に入園して、最初の お弁当の日、持参した弁当が食べきれなくて、勇気をもって、食べきれないむねの許可を先生にもらいにったことがあります。先生は神様のような、絶対的な存在であると思っていたからです。(後略)」と記させて頂きました。 すなわち、幼稚園は 2年保育でありました。 ちな みに、入園式は、当方が 5歳のときでありました。なお、幼稚園には お弁当を持って行かなければなりません。それで、誠に有り難いことに、母親が 作ってくれました。ついながら、幼稚園での 最初の お弁当は、り卵 と 合いき(き肉のこと)が 半々になって 御飯の上にっていました。 ちな みに、今でも ハッキリ覚えておりますが、誠に有り難いことに、朝 起きたときに 母親が その お弁当を持って来て 見せてくれました。

 そして、幼稚園での お昼の時間に、合いきで 御飯を食べることが出来たのでありますが、り卵では その下にある 御飯を 全部 食べることは出来ませんでした。それで、幼稚園の担任に 教壇のところまで  話しに行きました。すると、その担任によりますと、り卵だけ 食べたらいいとのことでありました。なお、幼稚園 初日に お弁当の食べかたを 担任に きに行くとは、勇気があると思われました。ついながら、給食ではありませんので、お弁当を残しても 担任には 分かりません。 ちな みに、お弁当箱のふたじて 持ち帰ればいいわけでありますからね。しかし、それでも 担任に 許可をもらいにったのでありますね。なお、このことは、家政婦にも話しましたら、誠に有り難いことに、うなずいてくれました。 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

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