薔薇の手入れ と 剪定・続報5 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、本日 すなわち 4月25日(土)の「薔薇ばらの手入れ と 剪定せんてい・続報4(あの世の母親に)」のブログの下段に、

「(前略)上記のように 薔薇ばらの根元まで はさみを入れて 復活することを 祈り、毎日 適度の水を与えて 様子を みていました。ところが、上記の3月11日から 約1ヶ月半が経過しましても 新芽がえてきませんでした。 ちなみに、上記の家政婦によりましても、やはり お釈迦しゃかのようですね。可哀想かわいそうですが、処分するしかないのかもしれません。なお、この家政婦によりますと、何故なぜ 枯れたのでしょうかとのことでありました。それで、目に見える 直接的な原因は、上記のように バラシロカイガラムシに やられたから と回答しました。ついながら、目に見えない スピリチュアルな原因も、考えました。すなわち、昨年の母の日に、『本日は 【母の日】ですが、直接 母親に このように プレゼントする代わりに、これらの花々を このブログ記事で あの世の母親に ささげたいと思います。』と前述致しました。すなわち、上記の 薔薇ばらの花々は お釈迦しゃかになって、母親のところにっているのかもしれないと思われました。そうであれば、この世で その薔薇ばらの花々は 見ることが出来なくても。あの世で 母親が見ていてくれると思われました。

 

 

釈迦しゃかのなったと思われる 薔薇ばらの根元

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。そして、今朝 家政婦とともに いざ 対処しようとしましたら、なんと 誠に有り難いことに お釈迦しゃかのなったと思われる 薔薇ばらの根元から 小さな小さな新芽がえてきていました。 ちな みに、今年は 無理でしょうが、何年後かは 薔薇ばらの花々が 復活されるのかもしれません。なお、この小さな小さな新芽のことを思いますと、祈らずにはおれません。何故なぜならば、以下のようなことが あるからです。すなわち、去る 昨年の11月12日(火)の「小豆の芽・続報2」のブログの下段に、

「(前略)流しの水切りネットに 一粒ひとつぶ小豆あずきが落ちて、本日も、そこから 芽が えてきていることに気が付きました。ちなみに、上記のように 毎日のように 玄米を くときに、小豆あずきも入れています。それで、一粒ひとつぶ小豆あずきも 流しに こぼさないように 気を付けているのですが、知らないうちに こぼしているのですね。なお、今回も 上記と同様に、これは、かさなければならない と思われました。そこで、自宅の花壇に植えました。

 

 

上記のように 芽が えてきた 一粒ひとつぶ小豆あずき 

 

 

早速さっそく 自宅の花壇に植えた 一粒ひとつぶ小豆あずき(上記のように 双葉ふたばであることが よく分かります)

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。つまり、自宅の花壇に植えました この一粒ひとつぶ小豆あずきから出た双葉ふたばは、丁重に育てましたが 3回とも 短命だったからであります。

 

 

今朝の 薔薇ばらの根元

 

 

 薔薇ばらの根元から えてきた 小さな小さな新芽

 

 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)