二者関係 と 三者関係 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、 去る 4年前の1月14日(水)の「『三つ子の魂百まで』の教育」のブログを記させて頂きました。 ちな みに、三歳まで は、母親との二者関係とされています。勿論 もちろん  父親がたとしても、子供にとりましては 母親との二者関係なのであります。そして、三歳を過ぎると、父親が入ってきて 三者関係になるとされています。

 ならびに、 去る 一昨々年さきおととしの10月20日(火)の「父性と母性」のブログの中段やや上に、

「(前略)母親が emotional availability そして 以心伝心を発揮させるためには、父親の精神的、身体的 そして 経済的な支持が必要であります。母親が子育てをするにあたり、その愚痴ぐちを聞くことも父親の働きとされています。去る10月5日(日)の『ボランティア・高尾山登山』のブログ と 去る1月21日(水)の『ボランティア・高尾山登山・その2』のブログ で、

『(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々かたがた二人に委託されて、おこなって参りました。そのボランティアで、過日、子供達と父兄を連れて・・・』と お伝え申し上げましたボランティアで、これらの父兄(保護者)が子育てをするにあたり、その愚痴ぐちを聴いて来ました。これらの保護者の中で、母子家庭の子供もいました。前述の父親の働きがありません。このような場合には、このボランティアが、父親の働きを行うことがありました。(後略)」と記させて頂きました。

 

 ときに、男女が どんなに愛し合っていて 仮に 駆け落ちかけおちしたと致しましても、二者関係では 決して うまくいかないようになっているのであります。何故なぜならば、上記のように 母子であると致しますと、第三者である 父親 か それに準ずる存在が必要になってくるからであります。すなわち、精神的、身体的 そして 経済的な支持をしてくれる存在であります。 ちな みに、この話を致しましたら、誠に有り難いことに 既婚である 73歳の ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)は、納得して うなずいてくれました。

 

 ところで、三者関係を考えますときに、「三人さんにん寄れば文殊もんじゅの知恵」ということわざが思い出されます。なお、この文殊菩薩もんじゅぼさつちな ませて頂きますと、去る 昨年の7月29日(日)の「観世音菩薩かんぜおんぼさつ(父親の食事)」のブログの上段に、

「(前略)阿弥陀三尊あみださんぞんは、仏教における 仏像安置形式の一つひとつであります。 ちなみに、阿弥陀如来あみだにょらいを中尊とし、その左右に 左脇侍きょうじ観世音菩薩かんぜおんぼさつ そして 右脇侍きょうじ勢至菩薩せいしぼさつを配する 三尊形式であります。(後略)」と記させて頂きました。そして、釈迦三尊しゃかさんぞんも、釈迦如来しゃかにょらいを中尊とする 仏教における 仏像安置形式の一つひとつであります。但し、両脇侍きょうじと致しましては 一定でなく その一つひとつと致しまして、左脇侍きょうじ文殊菩薩もんじゅぼさつ そして 右脇侍きょうじ普賢菩薩ふげんぼさつを配します。なお、この普賢菩薩ふげんぼさつは、蓮華座れんげざを乗せた 六牙の白象に 結跏趺坐けっかふざして 合掌する姿で描かれる姿が 最も一般的であるとされています。ついながら、当方も、東京上野の東京国立博物館で、この普賢菩薩ふげんぼさつ像の絵を見たことがあります。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

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