尼崎市の連続変死事件で、容疑者が殺人罪等で起訴される方針だという報道がありました。


>尼崎変死、殺人罪で6人起訴へ 神戸地検(共同ニュースより)

>兵庫県尼崎市の連続変死事件で、神戸地検は岡山の海に遺棄された橋本次郎さん=当時(53)=に対する殺人と逮捕監禁の疑いで角田美代子容疑者(64)=死亡=とともに再逮捕された親族ら6人について、殺人など同じ二つの罪で勾留期限の26日に起訴する方針を固めた。捜査関係者への取材で22日、分かった。

>起訴されるのは、義理のいとこ李正則容疑者(38)ら。捜査関係者によると、李容疑者は暴行や監禁の関与を認める一方、殺意を否認。

>一連の事件を指示したとされる美代子容疑者は死亡したが、地検は、ほかの親族の供述から、死んでも構わないとの未必の故意があったと判断した。


 報道によれば、容疑者は、暴行や監禁の事実は認めるものの殺意(殺人の故意)は否認しているとのことです。

 殺人罪は故意に人を殺す罪ですので、故意が無いと殺人罪は成立しません。そこで、故意があるのか無いのかが問題になります(おそらく、裁判でも重要な争点になると思われます)。


 検察側は容疑者らには「未必の故意」が認められるという判断ですが、未必の故意とはどういったものでしょうか。


 未必の故意というのは、積極的に結果の発生(この場合は被害者の死亡)を望んでいないが、結果が発生しても構わないという心理状態をいいます。


 つまり、加害者が「被害者を積極的に殺そうとは思わないが、万一の場合は、死んでも構わない」と思って暴行を加えるような心理状態のことです。


 わかりやすい例で言うと、被害者にけがをさせるつもりで共犯者が暴行を加えている事例で、共犯者が「これ以上やったら死んでしまうぞ。」と暴行を止めているのに、それを振り払って、もう一人が「死んでも構わない。もう一発だけ殴らせろ。」と言って暴行を加えて死亡させたような場合ですね。


 このような場合は、死亡という結果を受け入れて暴行を加えているので(結果の認容といいます)、故意があるとさられています。


 積極的に殺そうという意思がある場合は、「確定的故意」と言います。

 「未必の故意」は「確定的故意」に比べて、殺そうという積極的な意思が無いが、故意が認められる場合ということになります。


 一方、被害者を暴行を加え続けながらも、「死ぬことはないだろう」と軽信して、相手を死亡させてしまうような場合には故意が無いとされています。このような心理状態を「認識ある過失」と言います。


 加害者の心理状態が「認識ある過失」にとどまっている場合、故意が無いので殺人罪は成立しません。


 「未必の故意」と「認識ある過失」のどこが違うのかというと、、死亡という結果を受け入れて暴行を加えているのか(結果の認容)どうかという点です。


 認識ある過失の場合は、「相手を殺すかもしれない」という点の認識・認容が無いので、故意が成立しないということになり、殺人罪は成立しないということになります。


 ところが、加害者に「相手を殺すかもしれない」という認容があったかどうかは、心の中の問題ですので、第三者にはわかりません。


 今回の事件は、裁判員裁判になるということですが、裁判員は、「加害者に『相手を殺すかもしれない』という認容があったのか」という、加害者の心理状態を判断することになります。


 加害者の心の中(心理状態)という第三者にはわからない問題を、どうやって判断していくのかについては、またの機会にご説明します。