「好きなことを好きなときに好きなだけやれる」のが幸せだと
それが人類の一つの目標だと科学や文明が進歩してきたところはあると思います。
家電が進化して家事の時間が短縮され
インターネットが発達して情報の交換が世界中でできるようになり
これ以上便利って何だろう?くらいのレベルにいよいよなって来ていると感じます。
そこで人類は壁にぶち当たってしまったとも思っています。
「好きなことを好きなときに好きなだけやれるのって本当に幸せ?」
小学生が1日10時間タブレット触ってるなんて話を聞きます。肩こりがあるそうです。
オフィスワーカーはノートPCでどこでも仕事ができるので永遠に仕事の終わりが来ません。
見たいんだか見たくないんだか分からない動画をぼんやりと眺める休日。
ん・・・?これって幸せ?
ちょっと違うんじゃないかって思っちゃいますよね。
「好きなことを好きなときに好きなだけやれる」ことが実現して始めて
「好きなことを限られたときに限られた分だけやれる」ことって一つの幸せの形だったんじゃないか?という
そういう考え方も大いにアリなんじゃないかと僕は思います。
今こそ9時〜17時で働いて、土日休み、別に大好きな仕事じゃないけど大変過ぎずそこそこの給料もらえて
平日の夜や土日は趣味の時間を楽しむ。これってめちゃくちゃ幸せなんじゃないかと。
現代の幸せの一つの形なんじゃないかと。
少し話がそれますが、僕自身、「音楽をやる」という夢を自分の人生のど真ん中に置いて生きて
これは経験した人はみんな分かると思うんですが、
いざやってみると「・・・こんなもんか」という感じです。
やる前は、やりたいことを人生のど真ん中に置くんだから超超超超楽しくて超超超超エネルギッシュになれるんじゃないかと思っていたんですけど
いざやってみるとそんなことはないのです。
いや、会社員やりながら音楽やっていた生き方と比べると全く別物で、別次元の楽しさですけどね。
分かりやすく言うと今の方が100倍楽しいし、100倍自分の人生を生きている感じはしますが、
じゃあ華々しい凄まじいド派手な変化が起きたかと言われると、そんなことはないです。
良いことも悪いこともあり、ハッピーなときも落ち込むときもあり、
それでもちょっと前向きに1日1日生きていこうというところは何も変わらないです。
話を戻すと、たぶんそんな感じで
「好きなことを好きなときに好きなだけやれる」っていう状況いざやってみると
「・・・・こんなもんか」って感じです。
人間は飽き性だから(というか適応力が凄まじいから)飽きちゃう(慣れちゃう)んですかね。
「好きなことを好きなときに好きなだけやれる」というのは幸せの定義にはならないようです。
現代の幸せの定義って何でしょうか。
この話から考えると「特別感(限られているからこそ得られる幸せ)」「新鮮さ(飽きない)」は
重要な要素な気がします。