3.11 | Peace&Love&Smile

Peace&Love&Smile

Viola&Violin 島田玲の、かなり気まぐれな日記です

2011年3月11日

遅めのお昼ご飯を済ませ、実家に住む姉と3月12日に予定していたコンサートの話をSkypeでして、
切ったその数分後だった。

私は台所で洗い物をしていた。
いつもの地震かと思い、収まるだろうと思っていた・・・。
しかし、グラグラと揺れは大きく大きくなっていく。

私は家に一人。テレビはつけていなかった。
犬はいつもお世話になっている方の所へお泊まりで不在。
デグーのくーちゃんとしょうちゃんはケージの中で静かだった。

私は最悪な事しか頭に浮かばず、軽量鉄骨のこのマンションもつぶれるかもしれないと思い、
とにかく周りに何もない、目の前の運動場へ逃げようと
大きく大きく揺れる外階段を3階から駆け下り、運動場へ逃げた。

ご近所の皆さんも、皆外に出て、不安そうに周りを見渡したり、携帯電話を操作していた。

木造2階建てのアパートの2階ベランダに、一人暮らしであろうおばあちゃんが柵に摑まり、驚いた顔で周りの様子を伺っていた。
私はとっさに「大丈夫ですか?!」
おばあちゃんは「うん、私は大丈夫。大きいねぇ。」
と不安そうだったけど、落ち着いてらした。

揺れが収まり、私は一度家に戻った。

全部の部屋を見回ったが、棚の上に置いていた楽譜類が横に傾いていたり、
キッチンの調味料たちがちょっと倒れていたくらいで済んでいた。

そして、ガスファンヒーターのスイッチを入れたまま逃げた自分に気が付いた。。

家自体、被害なんて無いに等しいのに、
私自身、なんてパニックを起こしてしまったのだろう、、、と
ものすごく恥ずかしかった。
反省もした。

でも、冷静にはなれなかった。

余震が続く度、私は心臓が止まる思いで、
でも家族や友達の安否が気になり、震える手でパソコンのキーボードを叩き続けた。

旦那は岡山に居たので、インターネット電話で無事を伝えた。

しかし、本当に本当に地震が苦手な私は、とてもこの状態で一人でこの家で寝られるとは思えず、
家族に相談して、実家に行かせてもらうことにした。
電車は23時半頃動き出した。

あれから何日間も、ほぼ眠れぬ日々が続いた。
暗くなると余計に怖くて眠れないので、
夜はいつでも外に逃げられる1階のリビングで過ごし、
朝、親達が起きだしてからリビングのソファーやら、仕方なく2階のベッドで寝たりした。

緊急地震速報の音、
小さくても、「揺れる」ということの恐怖。
そして津波、原発事故。

一度に色々なことがあり過ぎて、頭がおかしくなった。
ストレスがありすぎた。

でも、その中で今まで考えた事がない事を考えるようになった。
放射線とか、土壌汚染とか、穀物、野菜、魚、海、川、水、ガソリン、電気、大都会、人、日本。

日本という国のこと、こんなにちゃんと知ろうと思った事なかった。

同じような災害がいつどこで起きてもおかしくない国に住んでいる私たち。

皆が安心して、安全なものを食べて生きていける国になってほしい。

自分の生活に必要な食べ物、電気は自分で賄う。
私は将来、それを目標としています。


1年経っても、恐怖は消えません。
でも、怖がっているだけでは何も出来ません。

だから、いつ何が起きてどうなっても悔いのないように、
今出来ること、やりたいことをして過ごす。

そして、もしものことが起こった時は、がんばって冷静になる。
気を強く、強く持つ。
弱いものを守る。

ちゃんと出来ますように。



2011年3月11日に起きた地震、津波、原発事故の被害で亡くなられた方々、全ての生物のご冥福をお祈りします。

今生きている人々が協力し合って、全ての物事が良い方向に進んでいきますように。