働くということ | すみれときいろとフィリピン生活

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不妊治療備忘録→娘ふたりの成長日記・家の売買リフォーム記録・フィリピン(BGC)生活記録

自宅に戻ってまず私がしたことは職探しでした。

前職とは違う業種・同じ職種の求人をあたり、
・勤務形態(週に2、3日数時間)
・立地(不妊クリニックに近いところ→クリニックまでの交通費が通勤手当で浮く笑)
の条件がちょうど良い医療事務として雇ってもらうことがすぐに決まりました。

その時点ではまだ死産から2ヶ月経つか経たないかというところ。
家計的に苦しいわけでもなく、とにかくまだゆっくりしてほしいと家族は反対しましたが、日に日に塞いでいく私を間近で見ていた夫は、私が元気になるならなんでも、という感じで応援してくれました。

前職を辞めてからは軽い在宅バイトしかしておらず、パートとはいえはじめての転職。
年下の先輩ってこんな感じなんだなぁなんて転職あるあるを味わいつつ、飛び交う専門用語を必死でキャッチしながら濃密な(疲弊する?)日々を過ごしました。

窓口業務なので患者さんへの笑顔を絶やさず、もちろん同僚のスタッフさんたちにもできるだけ好感を持ってもらえるように(完全な女所体、これも新感覚でした)、「外の顔」を半ば強制的に作ることは荒療治になったのだと思います。

新しいことを吸収するのに精一杯で悲しいことを忘れる
家族でない他人に必要とされることで、崩れる寸前だった自分の存在価値を再発見する

私にとって、「働く」ということはこの時期特に貴いことだったんだと思います。

2017年8月の妊娠発覚とともにすぐに退職してしまったので、在職期間はたったの半年で、クリニックにとってはやっと使いものになりつつあった頃に辞められてとんだ迷惑なパート職員だったと思います。
それでも始終優しく教示いただき、またあたたかく祝福し見送っていただいたスタッフの皆さんには本当に感謝の気持ちしかありません。

在職中の半年間は、不育症の検査をしたり、焦ってやっつけ的にしてしまった体外受精に失敗したり、気が滅入ることも多々ありました。

「ひとりだけの時間を持ち、自分と向き合う」ことと同様に、「自分ではない誰かのために動く」ことも大切で、人は結局自分ではない誰かのために生きることでしか、生きる意味を見いだせないのだと改めて思いました。

そしてそう思うと、なおさら「やっぱり子どもを産み育てたい。この先の私の人生を、私じゃない誰かに与えたい」という気持ちも強くなりました。