子宮内胎児死亡③ | すみれときいろとフィリピン生活

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「夫くんには私が連絡しようか?」
母が気遣わしげに声を掛けてくれましたが、自分でする、と私。
ごく淡々と伝えたと思います。
夫は絶句していましたが、すぐに行く、と返ってきました。
「今日はもう遅いし、面会時間もないから、来れるなら明日以降でいいよ」
投げやりな言葉しか出てきませんでした。

仕事中の父、年末年始の帰省中で友達と遊んでいた妹も慌てて病室にやってきましたが、泣くでも塞ぎ込むでもなく、淡々と話し何なら笑みすら浮かべている私を見て、「これはヤバイ」と思ったそうです。

じりじりとした痛みは一晩続き、私はお腹の中の存在を感じることに集中して、眠れずにいました。

明朝6時頃、トイレに立ったところで大量出血、その後破水し、そのまま分娩台へ運ばれました。

あぁ、懐かしい。
この、この世のものとは思えない痛み。
激しい陣痛の合間をぬって、背中に麻酔が打たれました。
あぁ、今回のお産は麻酔するんだ…産まれるところ見られないんだ…そう思いながら、意識が途絶えました。

目が覚めると個室に寝かされており、目の前には両親と、夫、義母もいました。

時計を見ると朝の9時前。
自分がいるのがどこで、何があったのかわからずポカンとして、次の瞬間に「あぁ、全部終わったんだ」と悟りました。

私はまたしても大量出血の危険な状態で、ちょっと乱暴なやり方で急いで赤ちゃんを外に出したようでした。

目の前にいる私の大切な家族の顔を眺めて、
「何度も悲しい思いをさせて、本当にごめんなさい。今度こそ、喜ばせてあげたかったのに…」
と言葉にすると、せきを切ったように涙が溢れました。

夫は目を真っ赤にさせて
「サキが無事でよかったよ」
と微笑みました。

まだ起き上がってはいけないから、と私は寝かされたまま沈痛な空気が漂う部屋に、「赤ちゃんに会いますか?」とナースさん。

誰も気持ちの準備はできていないままお願いし、連れてきてもらいました。

白い布に包まれた小さな藤色の箱の中にいる赤ちゃんは、ピンク色で本当に本当にかわいくて、ただ眠っているようで、寝ている赤ちゃんを起こさないようにそっと、みんなで代わる代わる抱っこしました。

ずっしりと重い赤ちゃん。
夫婦で決めていた名前を呼びかけました。
なんて愛しい重み、愛しい柔らかさ。
みんなの体温で暖められたのか、温もりも感じられました。
ずっと抱いていたい、離れたくない。
声もなく涙を流しながら、赤ちゃんを抱きしめました。
離れるのがこんなに辛いなら、いっそ私も一緒にいけたらよかったのに。