減胎手術について | すみれときいろとフィリピン生活

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今回の破水の一因かもしれない減胎手術についても記録しておく。

排卵誘発の副作用で多胎の可能性が高くなることはもちろん事前に説明を受けていて、双子なんて副作用どころかむしろラッキーな副産物じゃないかと思っていた。
しかしながらなんと驚きの三つ子。
医師から赤ちゃんの数を減らす手術を勧められ、初めてその存在を知り困惑した。
私は細身・低身長で骨盤も平均より小さいため、初産では双子すらも危険であり、単胎を勧められた。

家族とも話し合うべきことなので返事を保留し、帰宅後ネットで減胎手術について調べてみたけれど、なかなかこれという情報に欠け、その手術方法もなんだかよくわからない。やはり一般的な処置ではない印象を受けた。
ここ20年くらいの新しい技術で、歴史的には人工授精、顕微授精と同じくらいなのかな。

先生によると、いわゆる堕胎手術のひとつなので、正式な記録としては残されていないのだそう。
不妊治療の技術が進歩するとともに、私と同じような多胎妊娠も当然増え、中には5つ子、6つ子の例もあったが、当初は全て産むか、全て堕すか、の選択しかなく、追って減胎手術の技術が確立されたとのこと。

産院への紹介状にも減胎手術の記録は特になされず、「3胎心拍あり、のちに2胎になった」との記述のされ方だった。
産院で手術のことを伝えるか否かは本人に委ねる、とのことだったけれど、出産においてリスクのひとつになるだろうし、当然伝えるべきだと私は思った。

堕胎手術については、妊娠12週目以降になると死産として扱われ、役所への届出が必要になるとのこと。
減胎手術についてもまた同様の扱いになるが、胎児はなるべく大きい方が手術が容易であるため、ぎりぎりの11週目に行われた。

11週目にもなれば少しずつ人の形に近づいている頃で、この命を自分の勝手で奪ってしまうのか、となお心が痛んだ。

夫婦で相談し、結局2人を残すことを決めた。
先生からは「双子はあなたの体では難しい」「流産や早産、それに伴う障碍児のリスクは何倍にも増える」「その上で決めたのはあなたたちで、私は医師として止めた。ここからは自己責任だ」という旨の説得を何度も受け、相当びびっていたものの、私の体格は小柄とはいえ言うほど極めて小さいわけでもなく、がんばればいける、という謎の根性論の元に踏み切った。

また義母からは「3人とも産むべきだ」との強い意見を受け、当初私たち夫婦の意思に任せる、と言ってくれていた私の母も、義母に気遣う形で同調した。
かけがえのない命を選別するなんて残酷だ、なんてこと、言われなくてもわかっている。いろいろ調べて、現実的に考え悩んだ末の結論を感情論だけで覆そうとする義母に対し、自責の念もあった分余計に怒りと悲しみがこみ上げ、取り乱してしまった。
このときばかりは感情をこらえきれず、「お義母さんとは話したくたい」と涙ながらに訴え、結局夫から「夫婦で決めたことだから」と強く言ってもらい、事は収束した。
私の父が一貫して、私たち夫婦に任せるべきだと、私の気持ちに寄り添ってくれたことも大きな救いだった。
その後私の気持ちも落ち着き、義母に連絡したところ義母も真摯に謝ってくれて、子どもはもちろんだけれど、あなたの体をいちばん大切にしてね、と気遣ってくれた。
ちょっと勇気が要ったけど、私から連絡してよかったな。

手術は部分麻酔をお腹に打ち、また少し眠気を誘う程度の全身麻酔が点滴で投与された。
母体が緊張すると赤ちゃんも動き回るので、双方うとうとして動きが鈍いくらいがいいんだとのこと。

処置は一瞬だった。
エコーでモニターしながら、赤ちゃんの心臓をめがけて塩化カリウムを打ち込む。
針を刺された子は一度びくっと痙攣し、そのまま静かになった。
赤ちゃんは選べず、その時いちばん表皮に近い子が対象となる。
いちばん大きく成長していた子だった。小さな2人を守るように覆い被さっていて、その様子に涙が出た。

「あの潔い自己犠牲の姿勢から察するに、あなた似の子だったよ」と夫に伝えると、「じゃあ残りの2人はサキ似だね、よかった」と笑いながら慰めてくれた。

塩化カリウムの濃度は胎児には毒だが、成人の体内には何の影響もないものだそうで、処置後の胎児は他に吸収される形でだんだん小さくなっていくため、その後は特に何を施すこともなかった。

1人消えてしまったのではなく、その生命を託して、3人分の命が2人に宿っているんだね、と夫婦で交わした。
でも産まれてくる双子に将来このことを伝えるかべきかどうかはまだ判断しきれない。

今はただ無事の出産を祈るばかり。