西東京朝鮮第一初中級学校、西東京第二幼初中級学校美術部展を観て。 | MORIAH/K

MORIAH/K

NO WAR / NO HATE

先日、小平にある朝鮮大学校で開催された西東京朝鮮第一初中級学校、西東京第二幼初中級学校の中級部の美術部展を観てきました。

今回西東京朝鮮第一初中級学校、西東京第二幼初中級学校の中級部の美術部展は初めての事でしたが、いやいやとても初めてとは思えないほどの存在感、躍動感のある作品ばかりでおどろきました。

環境問題や、差別、哲学的や意味深な作品、風景画など様々な作品が展示されてて全く飽きることなく時間を忘れ作品の世界観に引き込まれてしまいました。

先生とも沢山話をさせて頂き朝鮮学校の魅力を更に深く知るだけでなく、自分の創作活動にも活かせる話を聞くことができてとても有意義でした。

先日ツイッターで小中学生に聞いた好きな科目というアンケートで図工美術が小学生から中学生になるとえげつない下がり方をするグラフを見て、正直全然驚きませんでした。

自分も絵を書くことや工作は好きでしたが、学校の授業の中でのそれは音楽の授業もそうですが全然好きではなかったし、全くいい印象が残ってない。

退屈で息苦しい印象だけが残っています。

だから、むしろ納得のいくグラフであるとともに30年前となにも変わってないといことに溜息が出ました。

しかし朝鮮学校の先生方の話を聞くと、美術部の話だけでなく授業でも自分が経験した授業とはまるで違うのでそっちのほうが驚きます。

僕が話を聞いた先生方は口を揃え、子どもたちの表現を否定しない、型にハメない。
むしろ型から外れてくれた方が嬉しいと言ってました。

美術部の制作でも授業でも制作にとりかかるまでの時間、何を表現したいかというものもじっくり考える時間を大切し、必要以上にあれこれ口を出さない。

先日もブログに書きましたが生徒でなく、表現者と向き合い授業を進めて行く、その距離のとり方がとても難しいしやりがいもあると。

だから生徒たちが作る作品からは作品そのものの躍動感と同時に作者のワクワク感みたいなものも伝わってきて見てて全然飽きないんだと思います。

今回の美術部展の作品も発想の転換がそれぞれの作品に見られとても楽しかったです。

私達の海という作品も海の表面を漂うゴミを上から見るのではなく下から、海の表面の裏側から見る。そしてそのゴミをくぐって鑑賞する。

まさに体感的に汚染された海を感じる。この作品にはお世辞抜きで脱帽しました。

他にも制作過程で副産物として偶然できたものも模様が面白いので作品にする、先生も良いじゃん良いじゃんと生徒の背中を押す。

そりゃ楽しくて仕方ないよなぁと、羨ましくなりました。

日本学校は美術音楽の授業だけでなく全てにおいて型にハメたがるしそこからは退屈しか生まれないから好きなものも本来楽しいものもつまらなくなるのは当然だと思います。

あと先生の話で印象に残っているのが、見えにくくされてしまっているもの、見えにくくなっているものを掴む事、今自分が本当に関心があり何を作りたいのかに重点を置いていると言ってました。そのことにより捉えようとする行動からエネルギーが生まれ、それがまた作品にも投影されていき、作品がより生命感の強いものとなっていくんだと思います。。

日本学校で教育を受けた自分からは、逆説的に感じましたが、実際はそれが本当なんじゃないかと、日本学校が本来の教育や文化との関わり方の真逆をやってしまい、子どもたちから大事なものを奪ってしまっているのではないか、しかしその大事なものを奪った方が好都合なこの国のシステムを維持しようとしたい連中がいて、連中にとってはやはり、そのやり方、自主性や独自性を奪うほうが正解なのかなどと考えてしまいました。

自然破壊という絵もとてもユニークでコミカルかつシニカルな絵でした。

回転寿司で皆が楽しく食事をしている絵なのですが実はゴミを食べてて、マイクロプラスティックに関した作品で、そのことに気づくとゾゾっと鳥肌が立ちました。

我々人間が出すゴミが海に流され分解されていく中でマイクロプラスティックとなり、それを魚介類が食べまた人間がそれを食べる。

お品書きには寿司ネタではなく、ゴミの種類が書かれています。

こんな作品日本学校の美術部で書く子どんだけいるのかな、いても書かせてくれないんじゃないのかな。などと思いを巡らせました。

今も尚朝鮮学校は冷酷な差別をうけてます。

そういった中で、生き生きとした力強い作品を制作したり、様々な活動がありますが、それがこの日本社会からの冷酷極まりない差別や攻撃の中で社会と向き合わざる得ない現実を強いたり、重荷を負うために強く逞しくならざる得ない事に凄く胸が痛むし、本当に申し訳ないと日本社会の一員として恥ずかしいし悲しいです。

それと特に今回は先生とも沢山お話ができ、日本学校の在り方にも思いを巡らせざるえなくなり、日本学校子供たちもこの社会のシステムから知らず知らずに大切なものを奪われてしまっている。芽をつまれ根を抜かれてしまっている。

そんな日本社会の在り方に悲しみと怒りを感じないわけにはいきませんでした。

朝鮮学校受けてる差別、知らず知らず搾取されてる子どもたち。

そのことに多くの人は気づいてないし気づこうとも知ろうともしない。

それなのに皆どこか呑気に暮らしてる。

なのにちょっとしたデマで右往左往する。

そんな薄っぺらく根無し草的になってしまっている原因が暴露されてきてるのに、見ようともしない。

正直挫けそうになることも多々ある中で、自分にとって朝鮮学校美術部展はそんなくすみ切った心を磨き叱咤激励してくれて元気になれるところです。

自分も頑張ろうと言うだけでなく、生徒さんたちの凄い作品に触れ毎度毎度Inspirationを受け創作意欲がグングン湧いてきます。

帰りがけに先生が美術部の子たちが卒業した後も皆がアーティスト活動を続けるわけではなく、それぞれの道を歩んで行くわけですが、それでも人生の中で物足りなさを感じたときにまた何か表現したいと思うときが来たらサポートしていきたい、とおしゃっていて、子どもたちに対する暖かく厚い思いを感じ感動しました。