#キボタネ。証言を読むワークショップに参加して。 | MORIAH/K

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NO WAR / NO HATE

以前、柏木教会で開かれた「沈黙」という慰安婦の映画の上映会で知り合った方が委員をしている希望の種基金akaキボタネ主催の慰安婦の方々の証言を読むというワークショップが田原町駅近くのイリヤプラスカフェ・カスタム倉庫で行われ初めて参加しました。

映画を見たりハルモ二達の話を聞いたり講演会というのではなく、証言・テキストを参加者全員で回し読みをしていき、そのあとグループごとで意見交換をし、それぞれのグループが発表していくという試みで、今まで参加した、どの集会とも違いとても有意義かつnext levelを感じさせるワークショップとなりました。

柏木教会の上映会で知り合った彼がファシリテーターを務め自身の個人史・ストーリーをまず語りかつテーマの設定もptsdなど目に見えない、表面に浮かんできてない問題にフォーカスが合わされていたので自然に慰安婦の方々のストーリーだけでなく、参加者個人のストーリーもそのレンズの中に入ることとなり意見交換もそこに触れつつ進んでいきよりリアリティを持ち課題にコミットできたと思うが、もっと意見交換の時間があったほうが個人的にはよかったと思う。

そのあとの懇親会も盛り上がり3次会もその熱を保温したまま、もしくはより温度が上がり非常に有意義で濃厚な時間を過ごせた。

その中で浮き彫りされた問題点が
慰安婦問題の運動を引き継いでいくうえで世代の問題/世代交代あるいはニューカマーに対するアプローチの仕方

ほかの諸問題me too運動や個人的には児童問題{児童福祉}貧困・格差による家庭の問題などそれぞれ違う問題だが地続きの問題のプラットホームをどうアクセスさせていくか。

加害者の責任と向き合いながら構造上の問題の克服。
しかし、構造上の問題を追及していこうとすると加害者の責任が見えなくなってしまう。
反面加害者の責任を追及していくと道義上の問題になりかねない
個人的に思うのは道義上の問題になると欧米、特にアメリカの排外運動にみられるように、たまたま白人に生まれた故に自動的に道義的な問題を課せられる若しくは課せらるような思いになり、反動で排外運動に共感してしまったり、排外運動に参加してしまう一面もあるのでは

日本人にもそれは当てはまる問題でたまたま日本人に生まれただけで自動的に加害者になってしまう、そのことに対する反発をどう克服していくか

木田献一という韓国の民主化運動に深く関わった神学者であり牧師の彼は生前、日韓の問題に対して「国家の責任と私の責任は違うので自分が謝っても仕方がない。むしろ私たちは出会いの中で新しい関係を築いていくことが肝要だ。」という発言があったのを最近知り我が意を得たりという思いをした

自分も自分がたまたま生まれた国がとんでもなく酷いことをし、そのことを国に代わって謝るのではなく、これらの問題を我がこととし、ともに戦っていきたいという思いを持っている。

ほかの参加者の意見では国に代わって謝るのではなく国に謝罪させることができないことへの謝罪という意見も出て、なるほどそういう捉え方もあるかと気づかされた。

総じて今まで参加した集会で一番未来を感じれるものとなった

これからもできる限りで参加し且つ自身のフィールドでも取り組めることはやっていきたいと促進させられたワークショップだった。