「24時間戦えますか」時代へのアンチテーゼ。
1989年は、日本の歌謡曲史にとって、大きな節目の年だった。
6月、美空ひばりが死去。
9月、ザ・ベストテンが終了。
12月には、NHK紅白が現在の2部制に。
そして、この年、CDの生産量がアナログレコードを追い越した。
昭和から平成への単なる元号の変わり目だけでなく、歌謡曲からJ-POPへと日本の流行歌の潮目が大きく変わったのが、1989年だった。
その象徴的な楽曲が、森高千里が放った「ザ・ストレス」。
80年代末期、バンドブームに圧されアイドルは冬の時代。単に可愛い娘がキャッチーなPOPSを歌うだけでは、なかなかヒットに結びつかない状況だった。
そんな中、森高が長い美足を露出しウエイトレス姿で歌うこのデジタルPOPは、とにかく目立った!
「たまる ストレスがたまる」と鬱積するストレスを訴えるフレーズは、森高自身の作詞。
彼女が何にストレスを感じているのかは一切語られず。ただただリズムカルにストレスを連呼するのみの歌詞は、シンプル極まりないがインパクト十分!
88年のアルバム「見て」収録の人気曲「ストレス」は、89年、シングルカットされ、オリコントップ20入り。森高初のヒット曲になった。
同じ時期、時任三郎が歌う「24時間戦えますか」というコピーのドリンク剤CMソング「勇気のしるし」もヒット。バブル期の企業戦士・OLは、会社の仕事に昼夜を分かたず時間を捧げることが美徳とされていた。
そんな社会に「ストレスが地球をダメにする」と真逆のメッセージを放った森高の歌詞は、シンプルさゆえに、多くのストレスに悩む人たちに支持された。
70年代から80年代、阿久悠や松本隆による物語性に富んだ歌詞を至高としていた歌謡曲界。
だが、歌謡曲の虚構性よりも「自分の日々の悩みをいかにストレートに代弁してくれてるか」という即効性が求められ始めたJ-POP時代。
「ストレス」は、その幕開けを告げる象徴的な一曲だった。
「ザ・ストレス」
作詞:森高千里
作曲・編曲:斉藤英夫
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