ついに限界!?
マッチが体現する、やんちゃ男性アイドルの賞味期限
「40年以上お世話になったジャニーズ事務所を退所させていただくことになりました。」
2021年4月末、マッチこと近藤真彦がジャニーズ事務所を退所し、話題になっている。
近藤真彦は、1980年12月、「スニーカーぶるーす」で歌手デビュー。
近藤のデビュー前夜の1970年代末期は、同じジャニーズ事務所のフォーリーブスが解散。
ジュリーや新御三家(西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎)の人気がやや落ち着き、ティーンの男性アイドルの座が空席状態にあった。
近藤は79年、中学3年の時にドラマ「3年B組金八先生」に出演し、人気者に。
以降、同じジャニーズ事務所の田原俊彦と共に、アイドル歌手として大ブレークする。
が、70年代の新御三家がシンガーとしても超一流だったのに対し、田原も近藤も「歌唱力」が著しく欠如していた!
ダンススキルは高いが音程が不安定な田原、力まかせのガナリ歌唱の近藤…というのが、当時のテレビ視聴者の評価。
にもかかわらず、二人の歌手としての「商業的な成果」は、新御三家を遥かに上回っている。
【オリコンシングルチャート第1位獲得作品】
・西城秀樹→3作、野口五郎→2作、郷ひろみ→1作
・近藤真彦→15作、田原俊彦→11作
【最高売上作品】
・新御三家 → 「ヤングマン/西城秀樹」80.8万枚
・たのきん → 「スニーカーぶるーす/近藤真彦」104.7万枚
テレビの歌番組では、街宣カーに乗って夜の街の喧騒の中で歌い(近藤)、曲の途中で衣装を脱ぎ捨て短パン一丁になって歌い(田原)、「歌を聴かせる」よりも「企画で見せる」演出が多かった。
上手な歌よりも「やんちゃでハンサムな男の子が、歌番組ではしゃぐ姿」こそを愛でる…。
80年代初頭のそんな「軽薄短小」なムードを追い風に、マッチは新時代のスターとして浮上した。
「さぁ 出ておいで 君の窓から 朝まで恋の逃避行」
「ヨコハマ・チーク」は、1981年3月発売のセカンドシングル。
マイナー調でシリアスな「スニーカーぶるーす」に対して、一転、ナンパで明るいオールディーズ風ロックン・ロール。
同時期の特大ヒット「ルビーの指輪/寺尾聰」に阻まれ、オリコン1位を取り損ねたが、当時のマッチを取り巻く「時代の軽〜いムード」をよく体現した楽曲だ。
曲中に2種類のサビが仕掛けられた、筒美京平さんらしいテクニカルでキャッチーな楽曲でもある。
「ヨコハマ・チーク」
作詞:松本隆
作曲:筒美京平
編曲:馬飼野康二