生活の中の疑問を解明する | papakenの音楽ブログ

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滋賀県に住むオジサンのアマチュアミュージシャンです。
ピアノ・ギター・ベース・ドラムが演奏できます。
宜しくお願い致します。

ケンパパです。

ご訪問頂きありがとうございます。

 

基本、「音楽ブログ」なんですが、サブテーマとして「認知症」についても考察しております。

 

家族の中に認知症患者がおりますので、日々の生活の中から「認知症のリスクを下げるポイント」を考えております。

今回は「日常に潜む疑問点を解明する」です。

 

こういうものって、ただ何となくやるのではなく、ひとつのテーマを決めて、順序立ててやって行くと認知症予防になると思うんですよね。

 

私がテーマを決めて、最近やっているものは「お経の解明」です。

別に宗教に目覚めたわけでもなく、仏門に入るわけでもありません(笑)。ただの好奇心なので誤解のないよう。

 

 

私は40代後半から滋賀県北部の農村地帯に住んでおります。

地域活動が盛んで、やたらと神社やお寺の行事が多く、古い家が集まる集落です。

毎年めんどくさい何らかの「役」が回って来ます。

 

お寺が多く、1軒のお寺を数十軒の「檀家」(私の地域では「門徒」といいます)で支えています。

 

お葬式や法事は家族や親戚だけでなく、隣近所10軒くらいを巻き込んで行います。

節目の回忌では3つのお寺の住職が集まり、盛大にやります。

月に1回くらいの割合で「お寺の行事」があります。そんな地域なのです。

 

さて、ここから本題なんですが、その際に唱える「お経」です。

私の地域は「浄土真宗」なので「正信偈(しょうしんげ)」を住職と一緒に唱えます。

(浄土真宗では正信偈はお経ではないそうなんですが)

 

ちなみに「南無妙法蓮華経」は「日蓮宗」で、「浄土真宗」は「南無阿弥陀仏」になります。

これらは異なる宗派ということになります。

 

これが浄土真宗の正信偈の教本です。各家庭に2~3冊ずつあり、普段は仏壇の中にしまっています。

 

ページを開くとこのように、ルビが振ってあって、お年寄りや子供でも読めるようになっています。

これを住職に合わせて、みんなで声を揃えて読み上げるわけです。

 

私はまだ数年ですが、嫁や婆さんは数十年、これを読み上げてることになります。

 

「これって意味わかる?」

「知らん」

 

「え?意味知らんとこれを唱えてたんか?」

「みんなそうやで」

 

つまり、意味を知らずに英語の歌を歌ってるのと変わらないわけですね。

 

そこで、浄土真宗の歴史と、正信偈の現代語訳を調べてみることにしました。

今は便利な時代で、ネットをほじくるといくらでも参考文献や動画が出て来ます。

 

 

 

さらには、図書館でこのような本を借りて読んでます。

正信偈に出て来る文言をさらに詳しく解説してます。

 

まだ全文は解明できておりませんが、ひとつわかったことがあります。

それは、「物事に関してものすごく突飛な考え方」なんですわ。

現代の考え方や法律に合う所が見当たりません。うちの家族はこれを日々唱えていたわけです。

 

いや、別に浄土真宗を否定するわけじゃないんですよ。

ようするに「浄土」という煩悩のない世界のゴールがあって、人々はそれに向かって歩いて行くべきなんだと。

「極楽浄土」ということではないようなんですが)

 

 

そして、どんな悪人であろうが、「浄土に行きたい」という気持ち(信心というらしいです)を持つだけで救われると。浄土に行ける...という教えなんです。

本人が修行せずとも、この心があるだけで仏様が「浄土」に導いて下さるということらしいんですよ。

 

これを現代に当てはめると、国会議員がどれだけ裏金をせしめて、さらに脱税しようが「浄土に行きたい」という気持ちを持つだけでその人は救われる...ということになります。

 

こんなアホな話がありますか。

悪いことをした奴は裁かれて、刑罰を受けるべきなんですよ。

 

これから、お寺の行事でこのお経を唱える際、疑心暗鬼の心持ちになってしまうことを考えると、調べない方が良かったかなという気もします(笑)。

 

え?

突飛な考え方してるのはお前の方だろって?

あ...それは否定できないかも。ヘソ曲がりなもんで(汗)。

 

まあ、こういうことを好奇心を持って調べることも、認知症のリスクを下げるひとつの方法なんです...ということをお伝えしたくてブログを書きました(汗汗)。

 

 

ちょいと余談になりますが、宗教の本って面白いのでこれまでに何冊か読んで来ました。

 

世界のほとんどの宗教には「神様」と「聖地」が存在するんですが、どちらも存在しない珍しい宗教が「仏教」なんです。

(仏教では「八大聖地」と言われているところもあるんですが、どこが本当の聖地なのかは決まっていません。)

 

他の宗教は「神様」が信者を救いますが、仏教では「仏様」が救います。

 

「ウソつけ、お釈迦様は神様なんじゃないの?」という質問が来そうですが、お釈迦様は神様ではないそうで、実在していた人物で「目覚めた人」という扱いになります。

 

でも、日本にも「神様」はいます。

神様がいる場所は「神社」です。でも神社は仏教ではありません。

神社では神様に対し、パンパンと「柏手」を打ちますね。

でもお寺では手を合わせるだけです。

 

神社の神様にも2種類あって、オオクニヌシノミコトみたいなこの世に実在しないもの、そして菅原道真みたいに実在した人物を神様として祭っているものがあります。

 

神社の神様は願いを叶えてくれますが、仏教は願いを叶えるのではなく、人を救うということらしいです。

日本の宗教は多種多様なのです。

 

 

ちなみに我が家の神様は「嫁」です。

なので基本的に「神」から与えられる言葉は絶対になります。

当然のことながら、「貢ぎ物」もそなえなければいけません。

神を信じていれば幸せになれる...そう信じて暮らしております、ハイ(汗汗汗)

 

 

今回はここまでにします。

最後までお読みいただきありがとうございました。