例えば、EQでもコンプでもいいですが、どのような製品が良いか?と言う話題が出たとして、自分にとって都合の悪い結論に到りそうになると「自分が良いと思えば良いのだ」という話に落とし込みがちです。

大衆受けを理解している「知恵者」がよく使う言葉です。

 

DTM界隈では、特に実機だプラグインだという話の場合で顕著です。実機は概ねプラグインより高価なので(しかも大幅に)出来れば安価で済む選択肢でも良しと言う結論に結びつける為に「おれが好きだと思うんだから良い」「だれそれのプロもプラグインだけでやってた」と言うセリフを水戸黄門の印籠の如く使われる事が多く思います。

今回は本質的には実機だプラグインだと言う話では無く、(結果的には入ってきますが)「おれの好み」では済まない事もあるよ、と言うお話です。

 

一例として私が良く処理をする(かつ理解も比較的進んでいる)フルートで話を進めます。(以下の話は一流フルーティスト前提でのお話です)

フルートのプレイヤーと演奏の話をしていると頻繁に出てくる表現で「息を集める」と言うものがあります。

フルートのように吹き込む息の多くが無駄になってしまう楽器は息を集めると言う意識を強く持たないと音が散ってしまい散漫な音になってしまいます。

もちろんフレーズによってはそのような音が欲しい事もありますが、速いパッセージを演奏する時などは息を集める事が前提となります。

さて、録音した素材を使ってミックスする際、必要に応じてEQをかけたいとします。その結果、プレイヤーが苦心して息をコントロールして吹いた音が崩れるとしたら、それは問題です。

音の好み云々では無く、下手な演奏に聴こえてしまうからです。

そもそもフルート奏者は何の為に息を集める意識を常に持っているか言うと、それは作品をより素晴らしく聴かせる手段である事を理解しているからなのです。

息を集めるとアタックタイムが速くなりかつ安定し、間接的にですがリリースのコントロールもしやすくなります。

息が集まっていないと結果的にリリースが安定しません。

 

さて、フルートを録音するとします。

今までの私の現場での経験上、(オンマイク気味の)フルートの録音に於いて色んなプリで試した結果真空管系を選んだ(もしくは選ばれた)事は皆無でした。(マイクはその限りではありません。が、少ないです)

真空管特有の高域のチリチリした歪みはフルートの伸びやかな音のエアー感には素晴らしい結果をもたらすのですが、前述のような速いパッセージの時に用いると息が散って聴こえるのです。(真空管を使うとアタックが乱れると言う意味ではありません、息が集まっていない時に出てしまうような倍音が真空管機材から出てしまう事が多いのです)

フルーティストが必死に集めた息が間接的に無駄になるのですから、好まれ無くても当然です。

実際そのような音は聴いて仮に音の良し悪しで言えば良い音だとしても、いまいちピントの合わない演奏に聴こえます。

これは音の良し悪しでは無く、音の有機的集合体である音楽やそれを奏でる楽器、さらにそれを演奏する演奏者が共通で認識しているコンテクストの問題なのです。そのコンテクストを学ぶ事を教養と言います。知識はそれを学ぶ為のひとつの要素に過ぎません。

 

またフルートに限らず生楽器の演奏者は音色が変わる事に非常に敏感です。(変わるのを嫌うとは言っていません。要素によります)

例えば高域をシェルフでブーストした時、プラグインだと(程度は勿論製品や帯域によりますが)濁りが気になります。

こちらは先ほどの「息を集める」話に較べると「好み」に属する話ですが、生楽器の場合意図したものでもない限り、まずはクリアーなブーストを心がけたいわけです。そうするとファーストチョイスは実機のパッシヴフィルターのEQとなります。トランスレスの方が良い結果が出やすい(さきほどの真空管系の話に近い)ですが、例えばWSWトランスのような例外もあります。

 

そこから色んな選択肢が広がっていくわけですが、まずはそこから始めます。

最終的には好みに落とし込める話だとしてもまずはコンテクストに沿ったチョイスを心がけそこを基準としたのちの「おれの好み」を主張しなければなりません。

 

このように、好みでは済まない時、済むにしてもその前提と言うものが存在する事があるので、水戸黄門の印籠だと思って使うと自分の無学、ナンセンスを笑われる事もあるんだよ、と言うお話。