小倉唯/ホップ・ステップ・アップルが提示する希望と不安について | MUSIC TREE

MUSIC TREE

邦ロックを中心に批評していく
音楽ブログです。更新不定期。

こんばんは。小倉唯さんの三枚目のアルバムがリリースされて一日が経ちまして、僕もやっと聞けました。そんでまあ感想でも書こうかなってやつです。

 

ツイッターでまたいくつもツイートを分けて投稿するくらいなら、iPhoneのメモに書いてスクショしようかなと思ったけどスクショ長文オタクもなんか嫌だし、久々にちゃんとしたブログを書こうかなと思いました。とは言え、元はiPhoneの簡単なメモ程度のやつなので、読みやすさとか色々期待しないでください(オタクは予防線を張っていく

 

 

まず改めて思うのは僕は小倉唯の声に未だに恋をしているんだなということ。それがメロディに乗る時、絶対的な説得力がある。

 

特に前半の楽曲には彼女の甘く、伸びやかなボーカルを活かすギミックが複数隠されていたように思う。昭和歌謡という謎のコンセプトを思いつき?で打ち出してきたのはトンチンカンなアイデアだと思うけど、松浦亜弥に強い憧れを抱きながら、古き良きアイドルの意思を繋ぐ小倉唯にはぴったり似合う。たった一人のお姫様の為のドレスみたいにきれいだ。

 

リードトラックに採用されたアップルガールは昭和風の匂いを振りまきながら、背伸びしない等身大の小倉唯を描いていく。かわいいだけでもないし、大人ぶってるわけでもない。この柔らかい空気こそが今の小倉唯に似合うドレスなんだなと強く確信させてくれる。早速いい気分になって気持ち悪いオタクスマイル全開になる。

 

二曲目Hop Step Jump!が始まる。全くそんな予感はしてなかったのに小倉唯の曲で初めて涙した。ライブは例外として、そんなこと今まで一度もなかったのに。「ライブ盛り上がってるい??」みたいな曲なんだけど大森祥子さんの歌詞がずるい。『世界一を見せたいよ-夢は夢を見た僕らをばかにしない 待っている キミを越せる人はたったひとり キミだけなんだ』・・・もう本当ずるいと思ったし、俺たちの心と小倉唯さんの心をわかってるなと思った。ここ最近考えてたことの全部だ。小倉唯さんの活動の中で感じてしまう不満や不安、色んな足りなさに日々僕は文句を言ってしまう。今日もそうだ。それはでもあなたのことが好きだから、あなたにならもっとすごいことができると、世界で一番だって思わせてくれる瞬間があるからなんだ。

 

結論から言ってしまえば、今回も決して手放しで褒めたい作品ではない。いつも批判的なことばかり話すファンで申し訳ない。だけどやっぱり思うのだ。あなたのことが好きで、あなたの顔面が、顔面が、あなたの声が、あなたの考え方が僕は好きだ。こんなつらい気持ちばかりなら、ファンなんかやめてやろうかなって何度も考える。だけどこの気持ちを何度殺そうとしても生き返ってくるのだ。あなたが好きなんだ。だからそれをちゃんと鏡として映せる曲やアルバムがもっと必要だと思うし、それを僕は聞きたいのである。クオリティに妥協してしまったら、「これが最高だ」と思い、立ち止まった瞬間にその先の成長はなくなると僕は思ってる。だから簡単に良かったなんて言わない。

 

だけど今作で嬉しかったのは小倉唯が小倉唯としての音楽をこの先やっていくための、そのきっかけになるような曲がいくつかあったこと。既存の小倉唯に出来ることをブラッシュアップしながら、新しさも感じさせてくれる曲。一周聞いただけでは表現できないけど、つまりいくつかの要素がちゃんとガッチリ噛み合う曲。特別な鍵穴を開けるための特別な鍵がこの世にひとつしかないみたいに違和感なくハマる。君が好きです、雨の森はウソツキは間違いなくそういう曲だ。FARAWAYもいい線いってる。

 

キングレコードが何を考えてるかわからないし、小倉唯さんが何を考えているかも僕は実はわからない。だけどまだ諦めきれない夢がきっと小倉唯さんにも、僕らにもあって、やっとその尻尾くらいは見えたかもしれないって今日はとりあえず信じてみようと思う。だからもう○○が××だったらファンやめるかもしれないとか俺は言わない。やめられん。何度だって何度だって、あなたの声と共に僕の心はあるんだってこと。

 

 

 

いい感じの文章を書いたのでそろそろ闇の部分というか、惜しいところを書いていく。

まず前述の通り、昭和歌謡と言うコンセプトは思いつきかもしれないがいいと思う。あくまで昭和歌謡”風”ではあるがこの際、大目に見よう。また、前作tomorrowから本格的に始まった小倉唯という人間のストイックさや彼女の本音を絞り出すようなシリアスな楽曲、これも白く咲く花などで追及できており、コンセプトやセールスポイントとして悪くない。つまりどっちもすごくいいのだ。かわいいだけのアップテンポな小倉唯を少しずつ脱出できていると思う。

 

では何がいけないのか?簡単な話、カレーとプリンを混ぜてはいけないってことだ。それぞれの曲は良い、悪くないのに全然ちゃんと混ざり合ってない(美味しくないとダメ)し、別皿で提供できてるわけでもない。

 

例えば、白く咲く花の位置にやはり違和感がある。アルバムラストに持ってくるのが正解だったと思う。また、アルバムの支えになるであろう中盤の土台が非常に弱いというかミスってると思う。あとラブミーラブミーが流れをぶち壊してるし、浮いてる。別にカップリングだし入れなくても良かったんじゃないかなと思うし、昭和歌謡というコンセプトがここで完全にブレる。後のブランニューに全く繋がらないのが残念だ(ブランニューは期待が大きかったけど割と普通の曲だった)。以降、ショコラ、ピーナッツなどいい曲が続ていくのに、僕の気持ちはどこか遠くに行ってしまった。いつぞやのブライトカナリーの時の過ちをまだ修正できてない。もう少し曲順と言うのを考えて作ってほしい。せっかくやっと少しだけ良いところまで来たんだから頑張ってほしい。

 

二つのコンセプトを美味しく混ぜ合わせる技術がない、難しいなら二枚のディスクに分けても良かったし、永遠少年以外の既存曲は抜いても良かったんじゃないかと聞き終わった後に思った。それくらい今回はアルバム曲が悪くない仕上がりのものが多かったので、新曲だけで勝負したものや昭和のみ、シリアスな小倉唯のみに絞ったアルバムが聞いてみたかったなと感じた。そのあたりをもう少し考え直してほしい。あと全部バンド録音にしろとは言わないし、すればいい話ではないけどHop Step Jump!は生のドラムが良かったと思う。楽曲に対してどんなアレンジ、楽器を選択すればいいのか?僕なんかよりプロの人はもっとわかってるはずだ。わかってるならやってほしい・・・

 

誰かと比べても仕方ないことは今作でも歌われてるし、そんなことわかってる。だけどありのままの自分をありのままに素直に愛せるほど人は簡単じゃないんですよ。みんな違ってみんないいわけがない。小倉唯はやっぱり一番にならなきゃだめだ。

それこそトリニティという枠があるなら、残酷なほどに比べられていくことは確かだ。水瀬いのりも上坂すみれも自分たちにしかできない楽曲をアルバムを、ライブをスタッフと一緒になってちゃんと作り上げてる。小倉唯1人がすごい、かわいいだけじゃなくて、それをちゃんと支え、方向性を指し示せる人が必要なんだと思う。その役目を全うできる人間がいないから、小倉唯自身も迷ってしまうんだと思う。

 

先日、ツイッターであるフォロワーと絡んでいて思ったことがある。小倉唯は小倉唯であるために・・をいつも考えすぎ、それを演技とは思えないほど高いレベルのリアルとして演じ切るあまり、それを超えて本当にやりたいこと、それに似合う音楽がずっとわからないのかもしれないって。小倉唯が小倉唯であるためにと言う鎖、足枷を外したのはハイタッチサマーのツアーだったと僕は記憶している。程よくリラックスした空気で展開される良いライブだった。

 

だけどそのあとまた迷走する。冠ラジオでの覇気のない声色(ここ半年は正常)、疲れて床で寝る日があるという話、ベッドで寝ると嫌な夢を見るという話、ゼラチンに角砂糖を入れて凍らせたものをかじった音をASMRで聞いてニヤニヤしているという話(いや、これはおもしろいけど)、先日のラインライブでも番組自体を楽しめてるようには見えなかった。一部ではそれら一連の行動や思考は田村ゆかりさん的なものであり、心配する必要はないと言われているが、とてもそうは思えない。そもそもあの方の芸を真似するのは畏れ多いというか・・それこそ軽はずみで手を出していいものではない。

 

いよいよ話が長く、収束を見せないのでこのあたりで終わります。つまりなんていうか・・・小倉唯さん自身も、スタッフサイドも、ついでに僕も、自分に足りないものは何かってもう一度向き合って考え直して動くしかないかなって話。どうせ諦められないなら、やるだけやっていかないと。なんか結局めっちゃ暗い話になったごめん・・とりあえず早くライブでHop Step Jump、君が好きです、雨はウソつき、FARAWAYを聞いて「これが小倉唯だよな・・・」ってやつをやりたいです。チケット取る前は大丈夫かなって思ったけど、結構楽しみになってる。

 

小倉唯さんの成功を心の底から願ってます。

最後までこんな駄文読んでくれて、感謝しかないです。ありがとう