妖精のような冷たさは曲の隅々に宿る。それは、ずっと昔からそこに住み続けていたのだ。
Sherbetsの3年振り9thアルバム『きれいな血』1曲目の「ひょっとして」は、黄金感のあるポップなメロディーが溢れ出す曲。”遠い昔から 夢見てたことが”という歌詞があるが、おそらくこの作品の伝えたい事はこの部分に集約されている。
ベンジーなら”LOVE&PEACE”と唱えるんじゃなかろうか。
『BLOOD』の脈にそって、物語は進む。ロックの揺るぎないビート感を根底に、美しく響く浅井健一の爪弾きと儚い歌詞の風景は、何時もながらに馴染んでいく。
本作で、最もセンチメンタルに泣く、表題曲の「きれいな血」”この旅の終わりには 喜びと愛が溢れてる”という歌詞がある。この話は、血を辿り、探す旅の途中なのだ。
中盤でのInstrumental曲「Massive Hooligan」はアルバム全体で、高揚感がピークに達する部分であり、このバンドの演奏力から生まれるフローズンな化学反応に改めて出逢う。
その後、ドラムの外村公敏が作詞の「ミツバチ」、Qumico Fucci作で、ボーカルもとっている「She」ベンジーの単独作品でない、この二曲が、本来のSherbetsらしさをつかさどる歌詞やイメージを匂わしている。つまり、世界の平和や反戦、愛に対して、ロックとしてのアジテーションをはっきり提示している曲だ。
逆に、本作のベンジーは、そのような因子を、敢えて避けて歌詞を紡いでいる。言うなれば、反戦、平和は他の大多数の方々がツイートする今だからこそ、表現者として別の視点で伝えることを選んだのではないだろうか。そう、彼の描く歌詞は面白くて、楽しくて、ファンタジックで、少し切ない。それが爆発している。何のためだと思う?それは、”血”を探すためだ。それも特別に綺麗な血を。
世の中の平和を血なまこになって提言している。そんな風景もSherbetsの音楽的物語の中では、ワンシーンの一つ。その風景をスケルトンにして、その先を写している。そこを流れる真紅の水脈に、目を細めているのだ。ロッキングチェアーに座りながら。そう、本当に歌う必要のあることは、未来に流れる綺麗な血を助けるということだ。
急ぐ必要はあるまい、何故なら平和であることはあたりまえの事実だと信じているからだ。
ロックは、これからもそうやって何かを伝えていくんだから。
きれいな血/SPACE SHOWER MUSIC

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