THE ROLLING STONES 『BLACK AND BLUE』1976年 | MUSIC TREE

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邦ロックを中心に批評していく
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~ボーイ・ミーツ・ガール~

すべての始まりには一つの出会いがある。日々、新しい音楽とめぐり合おうとする、そんな僕たちがザ・ローリング・ストーンズの音楽と出会ったら、どんな事を感じるだろう。

先ずは、何々っぽいよね。ってところからスタートする。先人のロックンロールが、ロックの入口で無かった僕たちは、リアルタイムで接している音楽を思い出し、その音楽の旋律やリズムからストーンズとの隣接点を探してしまうのだ。つまり、現在のロックの殆どの骨格はこのバンドの中にある。

ロンドン・パンク・ムーブメントの少し前に本作は生まれた。パンク以降に、彼らの音楽は古臭いロックの代表例に挙げられる時期があった。まぁ、それ位ビッグな存在であることも証明しているのだ。でも、ことにミック・ジャガーの野生的なボーカル・スタイルはパンクっぽさも醸し出していると思うし、乱暴な言い方をすれば、パンク以降を示唆している部分もあったのでは無いだろうか。

タイトルの”BLACK AND BLUE”には、ブラック・ミュージックと白人の青い目、という意味が込められているのと思う。ここにも出会いがある。ロックンロールも元々黒人が生み出した音楽。それに、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、そしてストーンズ等が出会い、現代のロックと言われるものが始まった。だから本作は、ファンク・ナンバーの『ホット・スタッフ』から始まり、レゲエ・ナンバーのカバー曲『チェリー・オー・ベイビー』やジャズ調の『メロディー』などの多様な黒人音楽が、ストーンズとしてのロックンロールと交わり、DNAのように絡まり続けた作品と言える。

歌詞の中にも色々な出会いがある。恋人とのことや、妻との喧嘩、遊びの関係や背徳の交わりなど。そういう事についての喜怒哀楽が爆発している。普通なら笑い話にならない衝動をロックンロールとして昇華させたものが僕たちに届き、それを受け取った瞬間に感じる高揚感こそ、ポップ・ミュージックの魔法である。”ロックとは半径5メートル以内に起こっているリアリティーを表現すること”なのだから、そこに出会いがあるのは当然のことである。それは、今の時代でも変わっていない。例えるなら、日本の随筆 「枕草子」を現代風に訳すと、現在の女子がブログに書いているような内容に近しい、という事に似ている。

明日も何かと出会うだろう。でもこれからは、ストーンズのロックを思い出さずにはいられない。ミック・ジャガーの歌声を、キース・リチャーズのギター・リフを。出会いとはそういうものだ。