UVERworld/Ø CHOIRを聞いて-知識と偏見を投げ捨てた先で僕の世界は限界突破する | MUSIC TREE

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邦ロックを中心に批評していく
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「生きる」という欲望しかこの作品には存在しない。何が本当か、正しいかわからないけど、彼らの音楽を聞いている時の胸の高鳴りは偽りのないものである。この最新作、本当に好きな1枚である。
誤解されても、されなくてもTAKUYA∞は胸の内に秘めた正直な思いを僕らに投げかけてくれる。僕らはその豪速球を、偽りなきストレートを受け止めることが出来るだろうか?

UVERworldという名前を聞いた時にあなたはどんなものをイメージするだろう?まず、あなたが持っているイメージをゼロにした上で僕の文章を読んでいただきたい。

随分な遠回りだった。
UVERworldを僕たちは誤解していたのだろうか?いや、きちんと今まで知ろうとしなかったのだと思う。「誤解していた」なんて言えるほど、僕らはきちんと彼らのことを理解しようと向き合っただろうか?
少なくとも僕は向き合ってこなかった。それは誤解とは言えない。
所謂硬派系?ロキノン系のバンドが好きな人間にとってのUVERworldの第一印象というのは、多くの場合、あまりいいものではない。
それでも彼らは誤解されることを恐れないし、少しでも理解される為に姿勢を曲げることはない。テレビにだって出ればいいのにほとんど出ない。売れたいだけだったらやり方はもっとある。彼らはそういうバンドではない。

自分たちのやり方は1ミリも変えないまま、もっとたくさんの人に理解されたいとTAKUYA∞は考えている。そしてその考えに従って動いている。それは今回のアルバムを聞いてもらえば十分理解できることだと思う。僕はまずその精神をリスペクトしたい。

普通は理解されたかったら、誤解されないようにわかりやすく、間違いのないように表現の仕方を変える。僕らはそうやって本意に反することがないように、時には偽って、なにかうまい表現を見つけて、誰かとうまくやったり、世渡りをしている。それが普通である。と思い込んでいるが、もしかするとUVERworldのやり方もひとつの正解なのかもしれない。それはひとつのロックとしての在り方に違いない。



人生が二度あるなら こんな険しい道は選ばないだろう
でもこの一回 たった一回しかチャンスが無いのなら
何もかも諦めて生きていくつもりは無い


「生まれ変わってもまた君に会いたい」とか「何度転んでも苦しくてもこの道を僕は歩こう」などと、何かの強い意志の現れを多くの表現者たちは言葉にしてきた。よくある表現である。でも当然ながら僕らは生まれ変わることは出来ないし(そういう神話を僕は信じていない)、「次があったら次はうまくやろう」とか「チャンスはいくらでもある」なんて脳天気に考え、努力してる自分に溺れているだけの人間は何かの幸運にでも恵まれない限り、一生、変わらない。
そんな者たちをあざ笑う時間さえ惜しく感じ、たった一回きりの人生で一度だけの、たったひとつを掴みに行こうとする。そして掴みとったバンドが彼らである。

ロキノンとMUSICAの表紙を同時に飾り、オリコンチャートでは二位を獲得。掌返しと言われても、今更だと言われても構わない。何かを好きになるのに、始めるのに、遅いも早いもない。今になって、どいつもこいつも、彼らの音楽を無視することが出来ない。その熱狂に身を委ねようとする。どうして彼らは、ここまで人を惹きつける事ができるのか?

話は簡単だ。チグハグでも僕らはこの情熱には逆らえないってだけのこと。
このアルバムはそれを証明してくれる。
音楽は理屈じゃない。熱い奴が勝つし、響く。僕らは情熱を求めている。


少々熱く語りすぎた。ここで精神論ではない彼らの音楽の話をひとつしてみよう。
冷静に彼らの楽曲を聞いた時に、まず飛び込んでくるのはサックスの音色だと僕は考えている。ミクスチャーロック風JPOP及び歌謡曲、ダンサブルなビートや電子音による味付けなどなどはよく見るパターンだが、サックスがそこに当たり前のように存在している。それがポップになりすぎず、シリアスにもなりすぎず、非常に面白い存在感を放っている。
加えてナルティシズム全開の芯の通った歌声とか、ハイスピードで脳内と体内を駆け巡る情熱、一周回って頭かち割って中身を見たくなる程ぶっ飛んだ歌詞は、時にチバユウスケやベンジーが書く詩世界のような独立した芸術性さえ感じさせる。この発言は誤解を産んでしまうかもしれないが、僕はあながち間違ってないと思う。

前述したサックスの演奏者である誠果が正式加入して、初のアルバムとなる今作。(これまではサポートメンバーであった)六人で音楽をやるのが長年の夢だった彼ら、その夢の始まりの作品となる今作から溢れだすのは、いつにも増して気合の入った音である。
まとまりの良さだけで言えば、前作THE ONEには劣るだろう。だけどUVERworldというバンドが持つ予想外の展開のおもしろさ、ぶっ飛んだ情熱をより一層感じられるのは絶対にこの最新作だと思う。




・・・
ところで、僕達は必ずしも何かしらの偏見や固定観念を抱きながら、生きている。JPOPをたくさん聞いて13才くらいまでを生き、ロックに出会い、たった1冊のある音楽雑誌を毎月買い続け、それを読み漁ることで自分は一般人とは違う特別な存在なんだと言い聞かせた(あー痛い痛い)。そこで得られたのは良くも悪くも、様々な種類の知識と偏見だった。
偏見は僕の中の常識になった。すべて投げ捨てたつもりなのに、いまだに僕の中にそんな類の偏見がずっと居座り続けている。悪いのはあの雑誌じゃなくて、僕の解釈である。いやむしろ誰が悪者ってわけでもない。

UVERworldというバンドの存在を初めて認識した時、僕は偏見の目でしか彼らを見ることが出来なかった。痛々しくて青臭くて日本語の怪しい歌詞が与えるイメージはマイナスでしかなかったし、田舎のヤンキーあがりみたいなボーカルの人間性を受け入れられなかった。「こんなチャラい音楽聞いてられっか」と思った。

それなのに彼らのことが気になって仕方なかった。嫌いになればなるほどあの声が、あの音が、あのメロディが頭から離れなかった。気がついたら彼らの曲のメロディを口ずさんでた。
それはおそらく理屈ではなかったんだと思う。

勢いだけの音楽に騙されたんだろうか?違う。彼らの音楽がきちんと伝わってきた。
歌詞がどうとか、人間性がどうとか、ロックバンドとしてどうとか、そんなの関係ないって言うのは音楽評論としては禁句だとわかった上で僕は正直に気持ちを伝えたい。
アドレナリンがこう・・・ガーっと沸き立つような、
たった一度の人生で一度しか同じチャンスがなくて、自分が自分に負けられなくて、勝ち続けるしかなくて、必死にあがいて、その先でちゃんと掴みたいっていうだけの欲望をTAKUYA∞は歌っていた。熱いバンドはたくさんいるけど、これほどまでにたった一秒に、一瞬に熱量を刻みこむことができるバンドはそうはいないと思う。



上の動画を見てほしい。こんな恥ずかしくて、かっこいいMCをできるボーカルが今この世の中に何人いるだろう?その姿に憧れた。というか羨ましかったんだと思う。
若干量の知識と偏見を盾にして、戦わない理由を並べ続けてきた僕と違って、常識が通じない世界で自分と戦い続け、有言実行し続ける彼らの音楽が眩しかった。
そして気づいた。
「あっ俺このバンド好きなんだ」


端から見てるだけで面白そうに見える物事は人の目を引きつけやすし、わかりやすいと思う。でもそうじゃなくてもおもしろい物、おもしろい音楽はたくさんある。何かしらのきっかけで試しに真正面から向き合って、初めて、その100%を感じられる物事ってのがある。100か0しかない極端な世界かもしれないけど。UVERworldはそういうタイプだと僕は思う。ちゃんと見ないと絶対にわからないし、ちゃんと見た人間にはそれ相応か、それ以上のリターンがあるバンドだ。



UVERとはドイツ語で”超える”の意味を持つそうだ。UVERworldというバンド名には「自分たちの世界を超えて広がる」という想いが込められている。まさに名は体を表すとはこのことだと僕は納得した。

僕はやっと真正面から、自覚できる全ての知識と偏見を投げ捨てた先に彼らを受け入れられた気がする。自分の限界を突破する、常識を超えた先の憧れを掴みに行くってのはそういうことだと僕は思う。その手助け、何かを超えたい時のもうひと押しを彼らの音楽は僕に与えてくれる。


この世界には色んなイメージだとか偏見や差別がある。それはどうしたって消えてくれなくて、何かを理解しようとするときに僕らの邪魔をしてくる。なるべく、自覚できるすべての邪魔ものは捨て去りたい。わかってても実行できないけど、少し意識するだけでも世界は限界突破するはずだ。

蜂は人を針で刺せば 自分も死んでしまう
その覚悟で届けなきゃいけない言葉をお前に刺す (誰が言った)

もう今日からは死ぬ以上の悲しみは ここに無いと思って生きて行くよ
ならもう何も怖くない 誰がどう言おうと構わない
諦める必要もない 強く生き抜くよ  (7日目の決意)

誰に期待されてなくていい
誰もがあなたの 願いに絶望を抱いてたとしても
構わず進んでゆけばいい 恐れないで何もかも
君自身が終わらせるかどうかだろう (在るべき形)

人の幸せは 人の不幸の上 成り立つって?
僕がこのプリンを食べたら 死者でも出るのかい?
-愛が憎しみに変わって行くなら
僕を憎んだあの人は 愛してもくれた人かもな (Ø choir)



全ては捉え様。見方次第。とTAKUYA∞は歌う。そして、どれだけの偏見と知識を自覚し、投げ捨てることが出来るか。まるでコップに入った水が床にこぼれ落ちるように、僕らは生きることが出来るはずだし、新しい音楽の扉を開けるはずだ。
こんな単純なことがずっと僕はわからなかった。教えてくれたのはUVERworldだ。ありがとう。