ダンス・ビートと共に人工的なキラキラがちらつく、そんな場所から、ささやきかけるような言葉が流れ落ちてくる。女性目線から綴られるストーリー、ぷつぷつと途切れて描写され続ける場面の数々。そこから溢れてくる日常感を含んだそこはかとない普通の悲しみが、ポップ感に解きほぐされていく。
中心人物の川谷絵音がなぜラップをもちいているのか、少しわかってきた。ラップは言語を直接的に伝えるのに長けているが、結果的に彼が伝えているのは、文字なんだと思う。ここに今の2010年代の時代性が強くでている。つまり、ネット、SNSでのコミニケーションがあたりまえになった今、言葉より文字が先行してしまう、その感覚を音楽で表すと、このバンドの表現スタイルになるのだろう。”ゲスの極み乙女。”というバンド名すら、言葉のインパクトより文字にしたときの勢いの方が勝っている。
彼らのビート感に映像がのり、言葉が聴こえたとき、瞬間に文字に変換してされている。だから四つ打ちとか、キーボードの叩きつけ感の間を縫うラップと、その全体をブイヨンのように包む美しいメロディー。すべてが正しい方程式のように成り立っている。だからこんなにも気持ちいいのだ。