米津玄師『YANKEE』 | MUSIC TREE

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邦ロックを中心に批評していく
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『愛以外すべて手に入る世界で』

米津玄師は自由にロックやポップを行き来する。でも、その自由さにはちょっと違和感があるのだ。その感じが何処から来るか考えてみたところ、音楽がネットを介し流れ出し、多種多様なジャンルの区切りが無くなったことや、さらにボーカロイドを通過したアーティストは、そのフリーダムさがはっきりしていることからみて、ネットと音楽の関係が大きく影響しているようだ。僕らは、ネットで自由に世界の音楽を選べる。しかし、膨大な音楽アーカイブが選択の不自由さを生み出しているのも事実だ。つまり、彼の自由さは、不自由さの中から発信されたもで、だからこそ、極上のポップネスの中に独特のニヒリズムや歪みが見え隠れしてる。そこにロック的な思想を感じずにはいられない。「TOXIC BOY」で”なんにもないさ そうさいつだって僕たちはカラカラだ” と歌い”頭空っぽもう気づかない”で終わる。この現実に対しての冷たい皮肉が『YANKEE』というタイトルを生み出したと僕は思う。ただ「サンタマリア」のような、愛についての歌を、ミディアムテンポで、はっきりとした言葉で伝えようとする曲の方が生々しく響き、米津の人間臭さが見えてくる。僕たちは、一番必要な愛を選べずに苦しむ。それでも、この「KARMA CITY」で何かを選択し続けるしかないのだ。