南の国の景色が見えて、聴こえてくる軽やかなリズムと楽しげな言葉の破片が散りばめられた世界。歌詞に込められた真実を知りたくないと思うのは、誰しも3.11を知っているからで、彼らはとある島唄を歌いながらも、どうしてもあの国を感じずにはいられない。当たらず障らずで良しと出来なかったことはロックバンドとしての正しさでもある。「この島国が踊った日から」自身のバンド名をそれにリンクさせてしまう潔さには舌を巻いてしまったが、重い選択でもあったと思う。最も印象的なのは作品中盤の「いやや こやや」。ゆっくりと運ばれていくメロディと夜から明日への足下を照らしていくような描写。自身の音楽の可能性と喪失を向き合わせたこの曲は、ボーカル下津のセンシティブな部分が表れている。また、作品全体を包む特長はやはりサイケデリックな音像だ。レトロ感を漂わせることにより、独特の異空間が広がっている。彼らの音が持つ幻相は、僕らを闇から光へ導いてくれるものでもある。なぜ今回、セルフタイトルなのか。おそらく今の彼らが、自国について最大限歌えることを歌った。憂も、希望もない交ぜにして。特に歌に特化した曲が多いのも母国的だ。つまり「踊ってばかりの国」=「母国」だと言える位に真正面からこの国を捉えている。まさに、もう二度と逃げることも、戻ることも出来ない地点に、稀代のロックバンドは今立っている。