「虎に翼」で触れられた半島人虐殺 | あずき年代記

あずき年代記

ブログの恥はかき捨てかな…
かき捨てのライフワークがあってもよろしからむ…

今日の「虎に翼」では、関東大震災直後に起きた、流言蜚語(?)による半島人虐殺について触れていた。


何度でも書くが、それは史実である。


井伏さんの「荻窪風土記」にもこのことは記されている。


関東大震災時、井伏さんは早稲田の下宿で被災した。

しばらく早稲田の野球場で寝泊まり、郷里の広島にいったん帰省することに決める。甲府〜名古屋〜東海道線に乗ってそこから広島へ というルートだが、立川までは線路伝いに歩いてゆく。


その途中で、いきりたった自警団員から、


「おまえ、日本人か?!」


と足止めされるのである。


慎重な井伏さんは、「あるひとたちが暴動を起こすという噂がたって…」という遠回しな書き方をしていた。


田中小実昌さんもこの件について筆を割き、さらに日本軍が中国でひどいことをしたことも、「ポロポロ」のなかで触れていた。ただし、コミさんたちは敗戦後、中国人に報復されることはなく、むしろフレンドリーな関係になったと書いている。コミさんの記憶では…ということである。


いまは上林暁の短篇集「聖ヨハネ病院にて」をよみかえしている最中だが、「野」という、語り手が武蔵野を彷徨する作品で、


 語り手は、

「このあたりも最近は半島人の聚落に小屋が増えてきた」

と表現している。


戦前の作品だから「朝鮮人の部落」とだいたいの作家は書く。


が、上林さんは「半島人の聚落」と配慮した表現であり、いまもコアな上林ファンがいるのは、そのデリケートさにあると悟った。


日本人による半島人虐殺は、そのほかにも、永井荷風、谷崎潤一郎、大岡昇平、北杜夫らが書いており、全員、左翼の作家ではないのである。


この悪質な流言蜚語の大元は正力松太郎だという説がある。当時の正力は警察官僚だからありえないことではない。


なぜなら、官憲が本来ターゲットにしていたのは半島人よりも社会主義者だろうからである。そして目論見どおり、社会主義者大杉栄・伊藤野枝とそのこどもは惨殺され、この事件もNHKはドラマ化している。


日本で最初に「罪と罰」を翻訳した明治〜昭和初期のジャーナリスト内田魯庵は晩年の大杉栄の家の近所に住み、交際もしていたから当時の大杉栄の様子を活写していた。


明治時代の大逆事件、大正のこの虐殺、昭和初期の小林多喜二惨殺、いずれも被害者が左翼であり、その左翼への恐怖、反感、圧力は、2024年都知事選における度を越した蓮舫叩きまで受け継がれている。


わたしは最初の職場で本物の右翼と同僚であり、このひととはよく呑んだ。漢学系大学出身で専攻は陽明学だった。


本物は日本の過ちを認める。


ー昭和天皇に戦争責任があったかなかったかと二択で聴かれたら、それはありましたよ。

ー南京の虐殺もありました。問題は数ではないんです。何千殺そうがひとり殺そうが虐殺は虐殺です。


だが、彼はこうも言った。


ーあなたそんなに日本の恥を糾弾して楽しいですか?


これだな…とわたしはおもう。

彼らは国辱を話したがらない。

しかし、その恥辱意識から史実の隠蔽が始まるのであり、それが歴史の改竄の元兇となる。


無謬なくに、無謬な民族など存在しない。

だから、われわれにできることは過ちを素直に認め、素直に謝ることである。


「虎に翼」のヒロインはじつに素直に謝るではないか。わが子に対しても同様である。


現実の世界ではこどもに謝れない親がいまだに多い。わが子といえど親の占有者ではないのだ。


にしても、こうした話を共有できる友人がほとんどいないことがさみしく、情けない。


みなさん物分かりのよい、つまりほどよいオトナに成長したからな…


…それゆえ当方、生涯、世間さまから見たら世間知らずの、めんどくさく青くさい老書生でいようとおもう。