吉祥寺ジュンク堂にない文庫本をブックス・ルーエで買う。 | あずき年代記

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ブログの恥はかき捨てかな…

都知事選は、小池百合子現都知事への大手メディア萎縮が甚だしく、毎日毎晩悲憤している。


新聞・テレビよりXのほうがナマの情報を伝えているからリポストに徹している。


NOWなヤング第一世代=莫迦の端緒世代としては忸怩たるもの夥しく、Xによるデモ参加が免罪符という面もあるが…


…というようなことはNOWなヤング世代のチャンピオンである桑田佳祐さんもそれとなく仄めかしている。


アミューズ所属の藝能人全般リベラル寄りに映るが、気のせいだろうか?


芸能事務所のシンジケートみたいな音事協に加盟していないことと関連づくように想像してはいるものの、確たるデータがあるわけではない。


蓮舫氏が掲げる公約の第一は、


「現役世代の手取りを多くする(増やす)」


だったはずであり、衷心から共感する。


60代〜ベビーブーマーは、個人差はあるにせよ、高度成長期・80年代バブル期と、オアシが上から下まで回る好況を二度も経験しているのであるから、孫子がいようといまいと、近未来世代の実質収入増大を最大公約数的に配慮してほしい。われわれも未来のひとたちへの公約を課せられているのだ。


しかし、こんなに本気モードになった都知事選ははじめてである。


もはや、最初で最後かもしれない。


まえもかいたが、リアル書店の文藝書は落城寸前である。


吉祥寺ジュンク堂書店は児童書のみならず、文房具コーナーがまた大幅に拡充されている。


今日は多和田葉子さんの「百年の散歩」(新潮文庫)を贖おうとしたが、置いてない。


多和田さんの文庫本は講談社から発売している著作が多いのだが、「地球にちりばめられて」はビニ本仕様になっておりーこれはどこの書店もおなじー、立ち読みすらさせないシビアさである。


日本の近代作家で、ロングセラーを約束されているようなのは、漱石・谷崎・川端・太宰・三島の五人集である。


鷗外・一葉・荷風らはもうよまれまい。


歴史を遡れば紫式部・清少納言・藤原道綱母・和泉式部・菅原孝標女と、ひらがなのくにもである日本の文藝は、武家政権誕生までは女性または和歌に代表されるように、フェミニンな要素が強かった。


多和田葉子さんは、国境・性別・人種を超えた日本最初の作家であるとおもう。


ことばそのものを一種の元素記号として意識しながら文章を組み立て、ときに逸脱して遊ぶところに、古今東西に通じる普遍を獲得している。


つい先日「雪の練習生」をよみかえしたが、これはとにかくホッキョクグマのキュートさが動画配信並の精度で、ことばによって描き切っている点がすばらしいのである。


「百年の散歩」は、どうやら独自の嗅覚を働かせているブックス・ルーエで入手した。


吉祥寺は書店の町でもあるのだ。