木造密集地域の解消だって?50年遅いよ。 | あずき年代記

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ブログの恥はかき捨てかな…

去年の7月、大宴会を開いた。


場所、西新宿。

駅のすぐそば。

雑居ビル。


が、指定の居酒屋の造り、内装は古ぼけ、朽ち始めていた。


国が耐震診断をようやく行った1981年以前の建物なのである。怖がりの当方、幹事役に文句を言った。


「おい、いまドカンと来たら俺たち一連托生だぞ」

「まあそういうな。耐震診断のことまで気が回らなかった」


怖いなら早く帰ればいいものを、同一エリアでぐるぐる🌀と何軒もハシゴした。


そう酔わなかったのはハイボールが薄いからである。


閑話休題…


…小池百合子都知事は木造密集地域の解消を公約に掲げているが、いまさら…?


8年間、いったい何をしていたのでありましょうや?(ラジオの小沢昭一さんみたい)


今日都知事は世田谷まで出張っているが、世田谷まで行かなくてもお膝元西新宿にも、そういう地域はある。玉袋筋太郎さんが育ったあたりだ。


木造密集地域が危ないと言われ出したのは70年代前半。


小松左京さんの「日本沈没」がベストセラーになったころである。


つまり、美濃部都知事時代から都はなにもしてこなかったわけである。


大手ゼネコンとの癒着が恒常的に囁かれていた石原慎太郎には出来ない相談だった。


しかしながら小池百合子都知事は、結局はその路線を踏襲したのである。


この点でも、シガラミのない新しいひとでないと取り組めない難事業である。


西新宿高架沿いに密集する、いまは「想い出横丁」と呼ばれる木造飲食店街は、昭和20年代の新宿を彷彿とさせる映画のオープンセットのごとき様相を呈しているが、ここが、何度も取壊し再開発が必要とされながら実現化していないのは、それだけ権利関係が輻輳しているからである。


表参道の旧同潤会アパートとて、いまの建物にたどり着くまで相当の年月を要した。


木造密集地域は軽軽しく解消できるものではないし、首都防衛とやらをみずから怠ってきたことを宣言しているような、そんなその場凌ぎの公約に誑かされてはいけませんよ!