70年代は、マック・吉野家・カップヌードル・セブンの草創期であった。 | あずき年代記

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暑い。


近年は、ゴールデン・ウィークから夏にして同時に雨季である、と、皮膚感覚がそのように訴えかけてくるようだ。


さきほど1972年のことをかいた。


マクドナルド1号店とカップヌードル発売が、前年の1971年(昭和46年)。


地味な住宅街だった生家の近所にセブン・イレブンがオープンしたのが、1974年。地下鉄有楽町線が開通した時期とリンクしており、このころからビジネス街へのシフトがはじまったのだろう。


吉野家の牛丼が流行り出した背景は、オイルショック後の不況にまちがいない。つまり、73年後半から。


初期のマックは必ずしも安くなく、当方、もっぱら吉野家に通い、10代後半から20歳くらいまで食べ尽くしたので、いまは牛丼屋さんに入ることは絶えてない。


しかし昨今の物価高で、マックも牛丼チェーン店もインフレ傾向らしい。


70年代から2024年まで地続きの点もあると感じるのは、コンビニエンスなものの普及と同時に若いひと全般の言動がかるがるしくしくなってきたことである。政治への無関心もしかり。


この点をおもうと拱手傍観の50年に責任を負う感情は湧くし、この自責がないとなにか発信する資格はないとさえ、おもう。


いつまでもユーミン、サザン、竹内まりや、村上春樹でもなかろうと苦々しく感じるときもある。


彼らが精彩を放っていたのはバブル期までなのに…。


一方で、有為転変は激しい。


コロナ禍まえ、行列をなしていた吉祥寺のタピオカ屋さんは跡形とてない。


高級食パンと唐揚げブームも終焉。


いまはおむすびブーム到来と映る。


よどみに浮かぶうたかたはかつ消え、かつ結びて…という鴨長明のことば、もはや、綺麗は穢い穢いは綺麗と唱える「マクベス」の魔女たちとならぶ、遜色なき呪縛に感ぜられる。


この縛りから日本人は永久に自由になれないものか…