「飛んだ!決まった!!」ー昭和はたしかに遠い。笠谷幸生さん逝去 | あずき年代記

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1972年(昭和47年)札幌オリンピック、スキージャンプ70メートル級ジャンプの金メダリスト、笠谷幸生さん逝去。


80歳。


80歳なら天寿まっとうとおもいたい。


70メートル級というのは、いまのノーマル・ヒルのことだ。


笠谷・金野・青地がワンツースリー・フィニッシュで「日の丸飛行隊」と呼ばれ、この呼称は、半世紀後の今日も使われている。


笠谷選手は、90メートル級=ラージヒルでも1本め100メートル以上飛んで2位につけた。


二冠獲得に期待が集まったが、2本め、空中に飛び出したところで横風に煽られ、メダルに手が届かなかった。


札幌オリンピックのイメージソングを歌っていたのはトワエモア。


フィギュアスケートのアイドルは、ジャネット・リン。「男はつらいよ」の次期マドンナか?とも噂された。


1972年は高度成長最終年。


その年に、田中角栄が首相に就いたのは、いまでは歴史の皮肉と感じられる。小学校卒業が最終学歴だったひとが首相まで昇り詰められたのは、戦後という意味での昭和の健全さではあったとおもう。ま、実弾=カネのチカラとはいうものの…


元日本兵横井庄一さん、グアム島から帰還。

連合赤軍、浅間山荘事件。

川端康成自殺。


1972年は、70年代の節目の年となった1年である。


レコード大賞は、ちあきなおみさんの「喝采」。


巨人V8。

この年300イニングス以上投げた堀内恒夫投手が26勝挙げてMVPに選ばれた。悪太郎、有頂天の年である。


タイトルは、笠谷金メダルの中継を担当したNHK北出清五郎アナのワードから借りた。