某月某日。雨降るシャッター街で革命がなければ救われないと悲憤混じりに夢想する。 | あずき年代記

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ブログの恥はかき捨てかな…

今日は地方都市にいる。


昼間、昼食をとろうとある駅の商店街を歩いた。

南北に延びるおよそ1キロにおよぶ商店街である。


が、ランチを食べられる店は一件もなかった。

開いているのは理髪店と美容院だけである。


飲み屋は多いが、それは夜からなのだろう。

外国人女性が接待するお店は、オープンが20時からである。オーラスは、せいぜい24時だろう。


自民党代議士の事務所も、クローズ。

東京電力関係の事務所も、クローズ。


岸田文雄のポスターが、じつに空虚である。

小馬鹿にした実態である。


頑張っているのは一書店で、憲法学者木村草太氏の講演ポスターが入口に貼ってあった。


孤立無援の反体制の気骨と映った。


1980年代から90年代前半の賑わいが想像容易なだけに、悲痛である。


昭和はそんなにいい時代ではなかったと断言するひとがいるが、はたしてそうか?


それはそのひとの個人的体験の範囲ではないか?


1960年代ー80年代前半までの昭和は中間ゾーンに総体に活気があったし、消費税は存在せず、非正規社員は少数派である。


上級国民ということばが定着したが、その最上層は天皇家である。


薩長末裔の政治家たちが天皇を担ぐ明治150年体制を覆さないことには絶望的な地方の疲弊を克服する術はないだろう。


そのために、国政選挙があるのだ。


いまスタンダールの「赤と黒」をよみかえしているが、スタンダールが共和制主義者なのがよくわかる。


ジュリアン・ソレルは俗にいうピカロ=悪漢だが、王政復古時代にひとりで階級打破をめざすなら、悪漢たらざるをえないだろう。


裕福な階級が裕福でいられるのは単に運と縁に恵まれたということもあるはずである。


享楽謳歌のブログにはたけだけしい反撥をおぼえる。


元失業者の怨嗟ではあるが…