コンプライアンスの発芽は昭和=70年代半ばの放送自粛用語の規制強化から。 | あずき年代記

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ブログの恥はかき捨てかな…

NHKで、独演会形式の落語番組とシェイクスピア劇の中継を避けるようになったのは、70年代後半からと記憶している。


その原因は、放送自粛用語の規制が厳しくなってきたからである。


古典落語もシェイクスピア劇も悪態の宝庫であるから、つまり不適切過剰であるから、公共放送は公共放送らしく、配慮したのだ。


まあ、落語も舞台も本来生で観聴きするものだ。

とはいえ、まだ学生だった当方オアシがなく、三遊亭圓生、金原亭馬生、古今亭志ん朝、立川談志、桂米朝さんらの噺がタダで聴けなくなったのは、けっこう、痛かった。


同じ「居残り佐平次」でも、志ん朝バージョンと談志バージョンでは180度ちがい、新鮮な発見だったのである。


話が、いきなりそれた。


テレビの放送自粛用語が厳しくなってきたのは70年代のドラマが過激化していたためだろう。


まず、1970年の「時間ですよ」。


銭湯を舞台にしているから裸身女性のホニャララが見える。プロデューサーの久世光彦さんは多才なひとだったが、ドラマの演出家としてはきわもの好きだった。わたしは中学生であり、男子生徒はたぶんほぼ全員視聴していたとおもうが、欧米人が呆れていることは知っていた。


それから72年の「木枯し紋次郎」


陰惨で酷薄でなまなましい時代劇だった。

しかしチーフ監督が市川崑であり、オープニングのスタイリッシュな映像と上條恒彦さんが歌うウエスタン調の主題歌に救われていた。いまBSで再放送している「まんぷく」のオープニングは、このドラマに感化されているとおもう。平成時代は、女性版の紋次郎を篠原涼子・天海祐希・米倉涼子の獅子座の座長たちが演じた。


続いて74年の「傷だらけの天使」


こちらもクレームが殺到するまでは、裸身女性のホニャララが見えるというので男子高校生に、いや女子にも支持された。やはりオープニングの画とBG Mが粋だったのだが、萩原健一さんのカリスマ性が理解できなくなった現在は、牧歌的に奇矯と映るだろう。このドラマも、紋次郎同様、深作欣二、工藤栄一、恩地日出夫といった映画監督たちが演出を務めた。


さらに勝新太郎の「座頭市」がある。


要するに大映・日活が倒産、活路を民放のドラマに見出した映画監督たちが、いわゆるかつての「お茶の間」に殴り込みをかけ、成果をあげたぶんだけのカウンターを喰らったわけである。人権意識の高まりがそこに加わり、テレビ局は自制するよりなくなったのである。


一方で、このころからテレビの限界、いまふうにいってオワコン化を予見するドラマが現れた。


倉本聰さん原案の「6羽のかもめ」である。


このドラマは「傷だらけの天使」の真裏だったので、どちらを優先するか迷ったが、不良性の高い「傷だらけの天使」の誘惑に勝てなかった。


ビデオがまだ存在しない世の貴重で贅沢な悩みだったかもしれない。


「昭和」という元号で一括りにしがちだが、西暦の10年単位の時勢解釈を忘れてはいけない。


その10年でも前半・中盤・後半で世相は移り変わっている。


たとえば令和でも、コロナ前と以降ではライフ・スタイルとそこから導かれてゆく発想は正反対になっていることを常に自覚していたほうがよい。


わたしは、コンプライアンスとガバナンス優先を否定するものではないが、不適切さの許容範囲も考えたほうがよい。


不義密通は道徳に反する。

ならば、姦通罪を「復活」させるべきなのだろうか?

美しい、品格、教育勅語、その他ご清潔でご誠実の自民党議員たちが、姦通罪「復活」をスルーするというのは奇異なことだ。


ドラマ「不適切にもほどがある!」が投げかける問いかけは多種多様であり、ポップにして大きなものがたりといってよい。


好みを超越した、水準を高く超えたドラマであるとおもう。