週刊文春対伊集院静氏の攻防。森鷗外でも失敗したこと。 | あずき年代記

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昨秋他界した伊集院静氏のお別れ会に参加したひと400名。


和田アキ子さん、近藤真彦さん、大沢在昌さんが参加するのはわたしでも合点がいく。


が、小泉ジュニアとはね。

ウンザリを通り越してむかつきすら、おぼえる。


安倍晋三政権誕生以降の伊集院氏は、さながら自民党政治家のアドバイザーであった。


甘利明という大臣がいたのをご記憶であろうか?


大臣室で、現金の賄賂を受け取った疑惑で辞職。


「説明責任はいずれはっきり果たす」


と釈明しながら今日にいたるまで有耶無耶。

「世間」は、どうせ忘れているのだろう。


この辞任後の甘利明と週一回、築地の老舗料亭「新喜楽」で、酒を酌み交わしてアドバイスしていたのが伊集院氏だったという。


この長めの記事を掲載していたのが、「週刊文春」。

申し訳ないが、立ち読みで読んだ。


安倍晋三元首相にチャーチルを見習ったらいかがです?と、ほとんど太鼓持ちみたいなーとわたしは感じたーことを言っていたという記事もそこにはあった。


伊集院氏はそのころ、「週刊文春」に連載を持っていたのだ。


しかも文春が勧進元の直木賞選考委員でもあった。


その文壇の権力者に怯まずこういう記事を掲載できるのは、伊集院静ふうに言って、気骨のあることだ。


文春批判するひとたちが増えている印象だが、新聞・テレビみなヘッピリ腰であることをまず指弾すべきだろう。


切腹とか安楽死を歴史小説の材にしたのは森鷗外からである。三島由紀夫にとっての知のアイドルだった。


その鷗外は山縣有朋のブレーンであり、生涯反権力、反金力だった夏目漱石とは対照をなす。


お断りしておくが、鷗外は好きな作家である。


声と体温の低い作家で、作家生活の後半は市井の武士というべきひとたちの史伝をライフワークにした。


その鷗外の研究から出発したのが「敗北を抱きしめて」のジョン・ダワー。


鷗外のような碩学でも権力に近づけばとち狂うことがあった。


伊集院氏は、仙台に自宅を構えながら日本のサロンである「世間」の人気者で終わってしまった。