三島由紀夫の生首写真を見たら集団自決とか切腹とかかるがるしく口にできない。 | あずき年代記

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ブログの恥はかき捨てかな…

タイトルにしたことは米国在住の映画評論家町山智浩さんがXに投稿していたことだ。


同感である。


1970年11月25日の朝日新聞の夕刊一面で三島の生首を目にしたときのショックは、心身に彫みこまれた。


わたしは中学1年だった。


自決とか切腹を軽率に賞賛するひとは、端的に命の重みがわかっていない無類の莫迦である。


山田風太郎が集団自決を呼びかけたのは悪趣味の洒落である。


山田自身が70代半ばだったから自虐の意味合いもあった。


深沢七郎の「楢山節考」には「世間」を愕かせてやろうという下心がある。


過激という名の虚仮威しである。


安楽死はスイスのビジネスになっている。


フランスの映画監督ゴダールはスイスで安楽死を選んだが、かつての支配力はなくなったとはいえ、カトリックの国は安楽死を認めない。


安楽死すなわち自然死ではないからである。


23歳で戦死したわたしの伯父のことをおもえば高齢者の集団自決も安楽死も甘えのきわみと映る。


フィリピンでの元捕虜である大岡昇平は、よれよれになっても79年の生涯を生ききった。


芥川龍之介・川端康成・太宰治・三島由紀夫・ヘミングウェイらの本はすべて書棚から消した。全員すぐれた作家だが、いつまでも手元に置いておくのは縁起でもない。


塩を撒いたつもりであった。