ワシントン大学の学習脳科学研究所所長 パトリシア・クール氏は、以下のセミナー「赤ちゃんは語学の天才」の中で、言語学的・発達心理学的な側面において、人間の赤ちゃんが言語を習得するのに必要な条件を明らかにしています。セミナーの内容を総括すれば、言語獲得に必要な条件とは、次の三つに集約されます:
条件1 先天的言語能力
条件2 言葉を話しかける親の存在
条件3 臨界期(七歳)
1)先天的言語能力
パトリシア・クール氏によれば、実験の結果、赤ちゃんは世界中のあらゆる言語の音を聞き分ける能力を先天的に持っていることがわかっています。成長過程で、母語の言語を獲得していく中で、徐々に他の言語を聞き分けられなくなっていくのです。
またこの点は、「現代言語学の父」とも評されるノーム・チョムスキー氏の研究成果によっても示唆されています。チョムスキー氏よれば、ヒトの赤ん坊は、全ての言語に共通する共通言語規制を先天的に知っており、さらには自分の母語を正確に構築する知識「言語構築力」をも備えているようです。
2)言葉を話しかける親の存在
赤ちゃんが言葉を覚えるのに必要なこと、それは親が言葉を語りかけることです。クール氏はセミナーの中で、この事実を明らかにしたある実験を紹介しています。それは、アメリカの幼児に台湾語を聞かせるというものであり、台湾人に教師役をお願いし、絵本を用いて赤ん坊に語りかけてもらう、という内容でした。すると、幼児の脳は台湾語に反応し、第二言語習得の準備を始めたのです。
ところが、台湾人の教師の代わりにテレビ・DVDなどの機械を用いて教育をした時には、赤ん坊の脳に学習反応は起こりませんでした。このことから、幼児期の母語習得には、言葉を話しかけることのできる生身の人間との人格的交流が必要であることが明らかとなりました。
3)言語習得の臨界期
母語の習得には「臨界期」があり、それは7歳であることがわかっています。つまり、赤ちゃんは7歳までは語学の天才ですが、それ以降は大きく母語習得力が低下していく、ということです。この臨界期の歳については実験によって明らかにされていますが、以下のようなケースにおいても裏付けられています。
●ジニー(Genie Wiley)
1970年、カリフォルニア州で虐待を受けた児童が発見されました。ジニーは1歳8ヶ月~13歳までの間、密室に閉じ込められて育ったため、家族と会話をすることがありませんでした。施設で保護されて教育を受けましたが、100語程度の語彙にとどまり、言語習得に至らなかったといわれています。
●アマラとカマラ(Amala and Kamala)
1920年、インドのミドナプール(Midnapore)近くの森で、オオカミと暮らす二人の少女が保護されました。シン牧師は少女たちを孤児院に連れて行き育てることにしました。年下の1歳半くらいの女の子は「アマラ」と名付けられ、年上の8歳くらいの女の子は「カマラ」と名付けられました。
1921年、アマラは腎臓の感染症で死亡してしまいます。カマラの方は、30ほどの単語を覚えましたが、ことばの獲得には至らなかったようです。1929年、カマラは結核にかかり死亡しました。
他にも、野生動物に育てられた子どもの事例は存在しますが、言語習得の臨界期を過ぎてから保護されたようなケースにおいては、言語獲得ができなかったといわれています。
●マリーナ・チャップマンさん(Marina Chapman)
推定1950年生まれで、4から9歳までの間、コロンビアのジャングルでオマキザル(capuchins)に育てられました。最初、ジャングルに入ってきたハンターに発見された時は、ことばを話すことができませんでした。ジャングルを出た後は、売春宿の下働き、ギャング一家の召使い、路上生活と、暮らす場所を転々としました。施設で保護されたり教育を受けたりすることはありませんでしたが、生活をする中でことばを回復させていきました。
彼女の場合、4歳まで家族と共に暮らした経験が、ことばの回復を可能にしたと考えられます。その後マリーナさんは、イギリスに渡り家庭を築くことができたようです。
言語獲得の条件を進化論に当てはめてみる
これまでに考えてきた、ヒトが言語習得できる条件を考慮した時に、進化論の説明でそれが本当に可能だったのかを考えてみましょう。
私たちの誰もが知っている通り、人と猿とは似ているとはいえ、両者の間には歴然とした差が存在します。例えば、猿は「キーキー」としか鳴きませんが、人の場合は誰もが複雑な言語を駆使することができます。したがって、普通の猿から普通の猿が何度生まれようとも、両者の壁を越える足掛けにもなりません。猿から人間への進化を想定するなら、ある程度の「突然変異体」の出現が不可欠となってきます。
今日の科学の研究成果においては、生物の突然変異体が進化をもたらさないことは明らかとなっていますが、百歩譲って、猿から人間・あるいは猿人への突然変異が起きたと仮定してみましょう。
猿から突然変異でヒトが生まれた場合
この場合、言語獲得の第一条件である「先天的言語能力」はクリアすることになります。(しかし、先天的言語能力に関するDNA情報がどこから来るのか?という問題はつきまとうことになりますが)
しかし、第二・第三条件である「言葉を話しかける親の存在」と「言語獲得の臨界期」の点で、決定的に問題が起きることになります。せっかく先天的言語能力を持ったヒトの赤ん坊が生まれてきても、周りにサルの親しかいなければ、何世代それを繰り返そうが、永遠に言語習得をすることは不可能だからです。
さらに百歩譲って、突然変異で複数のヒトの赤ん坊がサルから生まれてきたとしても、やはり言葉を話しかける親がいないので、どれだけそれを繰り返しても、言語の習得はできません。
以上の理由から、進化論の説明では、ヒトの言語能力の起源について筋の通った説明をすることが不可能であることがわかります。