学生のぼっちは大罪に等しい | 大阪無職

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大阪・無職日記です。
言っとくが、何1つ面白いことは書いていない。

前にもここに書いたと思うが、オレは小・中・高と合わせて友達は3人しかできなかった。

あれ?オレっておかしくね?と思ったのは高校3年の3学期末の卒業間近だった。

休み時間、他の奴らは誰かの席の周りに集まり、談笑している。
一人で本読んだり音楽聞いているのはオレだけだ。
弁当食うときもみんな誰かと一緒に食っている。
一人で食っているのはオレだけだ。
それが恥ずかしいと思ったこともなく、堂々と一人で食っていた。それで困ったこともなかった。

(尚、『便所飯』という制度を知ったのは30歳過ぎてからだった。オレって本来便所飯しなきゃいけない存在だったのか・・・)

なんかオレの席のすぐ近くに、常に何故か女子の溜まり場が出来ていた。
休み時間などはオレの席のすぐ隣あたりにクラス内の女子の大人数が集まり、大声で話すのだ。
席替えの前はあの女子の席の周りには誰も集まってなかったのに、なんで急に人気者になったんだろ?くらいにしか思ってなかったのだが、アレって今思うとオレにプレッシャー与えていたんだよな。
気付かずにゴメン。君らに全く興味が無くてゴメン。

何分、全く空気が読めなかったもので。
空気という概念すらなかったもので。
高校3年の3学期になって、やっとそれに気がついた。

しかしもう卒業だし、どうしようもない。
まあ、大学行ったら気をつけよっと、と思った。

大学に入り、履修教科の教科書を買いに行ったときの話。
係の者がオレにこう言った。
「注文した本は必ず取りに来て下さいね。今日も一人のようですし」 
係の者が何故オレにそんなことを言ったのかは不明。
だが嘘では無く、確実にオレにそういったのだ。

学生にとって、ぼっちは戦争犯罪にも等しい大罪であった。
それが正しいか否かといった問題ではない。

そういうルールのゲームなのだ。

ただ、おっさんになって思うのだが、
上記の通りオレは友達が3人しかいなかったが、
この3人という数字は多いのか少ないのかは分からない、ということだ。
オレの席のすぐ近くに集まりオレにプレッシャーを与えていた女子生徒達は、果たして友達と呼べる存在が一人でもいたのだろうか?
ぼっちにならないように、集団に隠れて生きていた生徒達。
彼らに友人と呼べる存在は1人でもいたのだろうか?

クソ田舎の学校でも、信頼できる奴が3人もできたということは、オレは奇跡に近いと思ってるけどね。