月のナイフ | 独書感想文

独書感想文

読んだ本をちまちま書いていく、個人的な感想文です。



著者は吉岡忍さん。ノンフィクション作家らしいのですが、これは小説です。
これは私が…いつだったかしら、小学校高学年くらい?の時に読んだ本です。何故これを手にとったのかは覚えていないのですけれども、十何年たった今でも、存在が忘れられなくて、今一度、読みました。

こちらは短編集になっていて、読み進める度に、懐かしいなぁと思ってました。
が、あの時読んでも意味がわからなかったものが、今読むと、スッと入ってきます。
この本を読んだ当時、この本の読者の適齢期だったはずなのになぁ…私の頭が幼稚だったようです。

一番最初の『旅の仲間』は、雲や酸性雨が会話しながら大陸を横断し、旅するお話で、このお話以外は、まさしく思春期位の子が主人公の話が主です。
この中で、一番私の頭に焼き付いていたのが、『きれいな手』。

A≠B  AはBではない。
A=B  AはBである。
両立しないことを、ママは平気で口にする。

と、話が始まります。主人公の男の子は、度々このように、物事を=で表現します。
この年齢ならではの不安定さ狂気さがよく表現されてるなぁ、と。今読んで改めて思いました。ここまで激しくなかったにしろ、私も似たような気持ちがあったからこそ、今でも頭にあったのかな。

で、この本を読み返し、好きになった話が、『子どもは敵だ』。
この話は、読むまで忘れていました…。あ、あったな…と。印象が薄かったのですけれども。
ここに出てくる画家が、風貌も言動も個性的。
その画家の絵の説明を、主人公の男性が表現するのに、『太陽』について書いています。
要は、言葉についてなのですけれど、その物体に対して名前をつけないと、人は不安になったり畏れを抱くよね、という。
言葉・名前をつけることによって、これは、こういうものだ!と安心できる。無ければ、これは一体なんなんだ?と、不安になってしまうから。
その画家の作品は、そういった、物に言葉がつく前の、緊迫感が漂っているのだという。
私は読んでいて、ピカソの絵みたいな雰囲気かなぁ、と想像してしまいました。
で、これまた、この画家が、かっこいいのですよ。
この画家は言います。

「理解とは、その対象を支配したいという欲望にすぎない」

…かっこい~!なんて独り言をこぼしそうになりました。
その考えはなかったわ。
この話でも書かれてますが、人は大抵、他人から理解されたいと思うし、現に、「あの人、私のこと何にもわかってない!」なんて、よく聞きますしね。
この画家の言葉を借りちゃうと、あなたは支配されたいの?て聞きたくなっちゃいますよね。
この画家の価値観、いいなぁ。
ま、しかしですね、話は進み、この画家と小学校の同級生だった主人公が、大人になってふと再会し、二人で語り合います。
そして画家の美の基準についての話になる。
美の基準は、うまいか、下手かではなく、そのものを、見たか、見てないか。
だそうです。
本質を見たか、本物を見たか、て感じですかね。
どうしましょ、いちいち納得してしまいます。
わかるなぁ、上手くてもなんとなく空っぽな作品もあれば、少し崩れていても、光る作品は、ありますよね。それはきっと、描いている対象をきちんと見て、感じたまま表現しているんでしょうね。
そして、二人の会話は進み、タイトルになっている、子どもは敵だ、という話になるわけです。

と、なんだか語り始めたら止まらなくなりそうなので、この辺に。
まだまだ、収録されているお話はあります。
同級生の、それぞれの祖父母の話、とんでもない近未来の話、世界を目の当たりにする話…などなど。
今一度読んでみて、好きになった話が多いです。

この本は、思春期位の子の話、と最初に言いましたが、思春期と言っても、甘酸っぱい青春物…ではなく、ブラックな部分が出ている作品達です。
なんだか読んでいて、居た堪れなくなってしまうなぁ。
でも、やっぱり、十何年も前に読んだお話が未だに脳裏に焼き付いているなんて…私の中に、刺さるものがあったんでしょうね。