【勝手に語り部】
最近ウクライナの方々と話すことが多くあり、彼らが自国で起こった過去の歴史を私に語ってくれることがあります。
昨年に見たBSNHKの再放送でまだ平和な頃のキーウの街の紹介番組を観た時、インタビューを受ける何組もの若いカップルが『過去を学ばねば未来は無い』と言うのに感銘を受けました。
過日行ったネパール料理の店の若い店主が、私に語った自国の自慢できる地の歴史や風景をすごく誇りに思っている姿にも感銘を受けた!
日本はどうなのか?別に私が最も苦手で成績が欠点ギリギリだった高校時代の日本史・世界史の復讐せずとも、今自分の住む街や自分自身の家族の歴史を知ってみませんか?
私も50歳を過ぎてから何となく神戸の歴史を知りました。
自分の家庭でのお袋の味、昔から伝わる家の料理、地域の料理を知ることも歴史!
そうすれば過去の父方・母方の3〜5代前の先祖を知る事があるかも?
引っ越して来ても今住む地域の歴史などを調べ、探訪しても良いのかも!
ニュータウンとして開発された所でも古の伝説もあるのでは!
何か自分にとっての新発見が出て来るかもしれないですよ!
そこで私から一つ紹介。
私が生まれ育った神戸市東灘区の御影にある伝説を紹介!
これは神戸市の東灘区と灘区に跨る地域を『兎原の郷(うばらのさと)』と呼んでいた古代の伝説です。
ひょうご伝説紀行 「処女塚」万葉集にも残る悲恋伝説
処女塚 万葉集にも残る悲恋伝説で、それをモチーフに観阿弥・世阿弥が創作した能「求塚」
遠い昔、六甲山(ろっこうさん)のふもと、ちょうど現在の神戸市灘区(こうべしなだく)のあたりに、菟原(うばら)という村がありました。この村に、それは美しい娘が住んでいたということです。
顔や姿が美しいばかりでなく、娘は心もやさしく、機織(はたお)りがたいへんじょうずでした。人々はうわ さを聞いて、ひと目でよいから娘を見たいものだと、訪ねてくるのでした。そうした人々の中に、二人の若者が おりました。一人は娘と同じ菟原の村に住む若者。もう一人は、海をわたった向こうの和泉国(いずみのくに) に住む若者でした。
「どうか私のおよめさんになってください。」
二人は熱心にたのみこむのでした。娘の両親も、どちらかがお婿(むこ)さんになってくれたらと思いました
が、娘の心はなかなか決まりません。二人があまりにすばらしい若者なので、どちらを選んだらいいのかわから
なかったのです。迷い続けるうちに、娘はだんだんとやつれてゆきました。
一方で若者たちは、何とか娘をおよめさんにしたいと、ますますはげしく競争するようになっていました。そ のようすを見ていると、このままでは刀を持ってきり合いを始めてしまいそうです。若者たちが競争すればする ほど、娘の心はしずんでゆく一方でした。そしてとうとう、娘は、近くを流れる生田川に身を投げようとするま でになってしまいました。
おどろいたのは両親です。
「かわいそうに。そんなに思いつめなくてもいいよ。私たちによい考えがあるからね。」
そういって娘をなぐさめた両親は、ふたりの若者を招いて言いました。
「お二人が、娘のことを思ってくださる気持ちはよくわかりました。けれどもお二人ともご立派すぎて、どち
らかを選ぶことができません。そこで考えたのですが、そこに流れている生田川の水鳥を早く射止めた方に、お
むこさんになってもらおうと思います。」
どちらの若者も、弓のうでまえには自信がありましたから、この話は願ってもないことでした。弓比べの日を
とりきめて、二人は帰ってゆきました。
いよいよ弓比べの日です。うわさがうわさを呼んで、生田川の河原にはたくさんの人が集まりました。りりし
く着かざった二人の若者は、河原へ進み出ると、合図と同時に矢をつがえて、弓をひきしぼりました。人々はか
たずを飲んで見つめます。娘は手をにぎりしめ、目を閉じました。
ひゅうっと空気を切りさく矢鳴りが、聞こえました。
「わあぁっ。」
「あたった!」
「見事だ!」
口々にさけぶ人々の声に、目を開いた娘は、立ち上がって川面を見つめました。そしてどうしたのか、川に向
かって歩き始めたかと思うととつぜん走り出し、流れに身をおどらせたのです。
激しい流れにのまれて、娘の姿は二度とうかび上がってきませんでした。それを見た二人の若者も、娘のあと
を追うように川に身を投げてしまいました。
乙女の墓しての『処女塚(おとめづか)』は阪神石屋川と新在家の間にあり、その南には清酒福寿の酒心館が国道43号線を挟んであります。


一人の若者『東求女塚(ひがしもとめづか)』阪神住吉駅から東北東にあります。

もう一人の若者『西求女塚(にしもとめづか)』は阪神西灘駅南東の住宅街の中にあります。

もし興味があれば行ってみては如何でしょうか?