昭和48年に、神戸商工会議所や神戸市等が、神戸の「ファッション都市づくり」を提唱し、全国に先駆けて、ファッション産業を衣・食・住・遊に係る生活文化産業全般と位置づけました。これを「神戸ファッション都市宣言」と言われていました。

ポートアイランドでの博覧会後、博覧会のあった場所の跡地に多くのファッションメーカーが本社や支社を建て、『ファッション・タウン』としてお洒落の象徴のような場所でした。

今は衰退して、神戸を代表するような真珠メーカーのビルが幸福の科学に買われて建て替えている。

 

この『ファッション都市宣言』を推進し神戸市を動かしたファッション業界のあるメーカーの会長が全くの異業種の私を何故か可愛がってくださり、よくおっしゃていたのが「せっかくお洒落なものを作っても、それを着ていける場所やイヴェントを提供しなければ いずれ買ってもらえなくなる。そう思いませんか?」と!

そして、各メーカー合同でファッションパーティーを開催されたけれど継続されなかった。

「メーカーの社長連中が今売れているから必要ない!と思っているようです」と嘆かれた。

会長はその頃からすでに一線を退かれていましたが、言われていることが正しくその会社も今は無く、多くあったメーカーのビルも空きビル状況!

日本は平和な国で選挙をしても投票率は40%程度の国家。

「誰がやっても同じだ」だという馬鹿の多い国です。

今回、友人が「不思議なんだよな、全く気配のなかった誰かわからん奴がいきなり維新で立候補し、ほとんど選挙活動していないのに上位で当選しているんだよな!お前維新の選挙カー見たか?」と言った。

そういえば私の住む地域には連日各候補の選挙カーが来たり、降りて演説していた。しかし、維新は見なかった!

無気力な国民性になったのでしょうか?

国際感覚をお持ちの一部の方は別にして、その無気力さがお洒落にも現れ、みんなと同じような格好さえしていれば良い!というファッションになったのでしょうね。

早くメーカーが仕掛けてプレゼンテーションしていればもっと良い状況になっていた気がしています。

画像の様なファッションの女性を神戸のホテルなどで見かける様な街になっていたかも!

皆さんはコンサートや絵画展に年間平均で何度お行きになりますか?

特に絵画や美術は大きな美術館だけでは無く、お気に入りの作家の個展に行かれますか?

お好きな音楽家や芸術作家、お気に入りの本や文献に出会っていますか?

 

歴史的事実として文化芸術を排除し、経済優先に武力で押し進めた国は必ず滅びる!と書かれた文章を目にしたことがありました。

 

古のカルタゴ、貴重な文献や本を焚書したり美術作品を破壊してきた国、例えばナチスドイツ、毛沢東時代の中国、を例に挙げていました。

極端な専制主義国家にありがちなのかも、おそらくスターリン時代のソヴィエトもそれに近いことをして来たのでしょう。

芸術や文化はある意味自由の象徴です。

 

民主主義の国、特に西ヨーロッパやアメリカ合衆国ではサロン文化(アメリカではパーティー文化)があります。

彼らの根本的な考え方はいかに多くの人と知り合い信頼関係を結べるか!それが成功へ繋がる!という考え方があります。

ヨーロッパのサロンはスケールが大きいところにお住まいの方が開き、そこに呼ばれることは一つのステータスのようです。

アメリカではパーティーは必ず自宅に人を招き開いていきます。

10人しか無理ならばそこから始め、成功する毎に大きな家に住みその規模でのパーティーを開催していくそうです。

最終目標は豪邸に住むことらしい。

そこで出会い会話をし、何度か接するうちに相手の人柄も理解でき、そこからビジネスだけで無く人として信頼しあっての付き合いが始まっていく道筋です。

大人数で騒ぐ日本の宴会とは違い、語り合うことが前提であまり会話が得意でない人は相手の話に興味を持てば聞き役に徹することから、ゆっくりと会話できるようになります。

日本のパーティーはどこかの企業が取引先を集めて会議も兼ねて行ったりすることが主だったり、即ビジネスに繋げようとする異業種交流会とは全く違います。

日本は経済優先で芸術・各種の文化は重視されていません。

前回も書いたことの続きかもしれませんが、町に有ったある業種のお店が消えていき、時間潰しにブラっと立ち寄るお店も減ってきました。

そうそうカメラ屋さんも無くなっていますね。

後継者問題もあり、老舗の飲食店すら減っています。

 

私にはチェーンストアの飲食店やカフェは味もですが、どうしても落ち着きません。

私だけの思いか?と思っていたら、浜本事務局長と再開し思いは同じ、そして始めた私どもの会にお越しの皆様は、まさに理想とする、いや私どもが学びたい感性の方々がお越しくださっています。

ヨーロッパやアメリカのサロンやパーティーにスケールは遥かに及びませんが、毎回、今回が最高だった!と思える雰囲気です。

もし興味があれば、まずお一人でお越しください!全くアウェイ感はなく過ごせ、お友達も数人できます。

お気に召したら次回からお友達を誘ってまたお越しください!

それがサロン文化だと思っています!

各所でサロンが出来れば、経済も好転する気がしています!

過去にNeo 阪神間モダニズムの会で演奏して来た方々の一部をご覧ください。

 

東京を中心に活躍されているシンガー『グレース美香さん』

 

 

 

名古屋を中心に活躍されているシンガー『西みほさん』

 

 

関西で活躍されているテノール歌手『新井俊稀さん』

 

 

関西で活躍しているシンガー『高橋リエさん』ジプシジャズのスタイルで!

 

 

東京で活躍しており、イタリアでも人気が出ているピアニスト『高橋里奈さん』

 

 

全国でも活躍され人気のピアニスト『長富彩さん』

 

 

関西で活躍のフルーティスト『吉田真維さん』

 

 

関西で人気のチェリスト『崎元蘭奈さん』とピアニストの『高石香さん』

 

 

ごく一部ですが!

 

 


私がCDを買わなくなって何年経つのか?と思い、記憶を辿ったら57歳くらいが最後だった。
それまでに集めていたレコードとCDの合計枚数は数えたことはありませんが、3,000枚以上だったと思います。
同時に本も買ったりしていたので家内からCDも本も置く所がないから購入禁止と言われたからです。
娘たちに譲ったりして今はかなり減りました。

そして街のレコードショップと本屋さんが無くなったのはいつ頃からだったか?
昭和の時代には駅前の商店街には必ず本屋さんがあり、大きな商店街にはレコード屋さんと本屋さんは必ずあった。あまり愛想は良くないが本の好きなおじさんが店主で、親しくなると色々と本を紹介してくれたりした思い出があった。
市の繁華街や大きな駅の前には楽器店もあった。
私たちが若い頃はLPレコードを聴くためのオーディオセットで憧れのアンプ、スピーカー、プレーヤーがあり、有名なオーディオメーカーも何社かあった。
しかし今は本屋、レコード店、楽器店もオーディオメーカーも殆ど存在していない。
大手のチェーンストアのレコードショップ、本屋も風前の灯の気がする。
映画館も数多くあった。ちょっとした商店街には各映画会社系列の映画館があり、パチンコ店も数多くあった。それらも姿を消した!

1993年のバブル消滅、2008年のリーマンショック、が日本の経済を悪化させたのではなく、人の心を豊かにする文化を軽視したから経済が悪くなった!と私は思っています。
拝金主義の横行で大手企業も創業者が去り、株主優先の愛のない経営姿勢の弊害で若者から恋愛そして結婚後の将来の夢も持てない為にこの国は少子化に歯止めが効かない。
夢を持たないから留学を希望しない若者も多く、世界から閉ざされた我が国の基礎研究分野は国際的にも完璧に遅れ、酷い状況です!

文化とは各個人の歴史の中から存在すると思う。今は死語かもしれない『家族団欒』をいかに構築するか?文化は人と人の語り合いから構築されます。
たまに親子3代、4代が集まって爺ちゃんや婆ちゃんの昔経験した話から、子供たちの学校などでの話が我が家の歴史を知る良き勉強になります。昔の素晴らしい野球選手や俳優・女優の話も歴史の勉強です。


人と人とのコミュニケーションはこういうところから構築されるので、皆さん夢を持てる家族の団欒をいたしましょう!
私も娘たちから小言を言われるのではなく、彼女たちに為になる話をしなければ!

毎月開催している、私どもの会 Neo 阪神間モダニズムの会 の事を『大人のリベラルアーツ』と言わせていただいています。

リベラルアーツは文学・論理学・修辞学の言語系3学算術・幾何学・天文学・音楽の数学計4学の7学を基本とした自然科学・社会科学・人文科学に音楽を加えての教育方法!と書かれており、教養に基づく知識と五感をバランス良く身につけて行く事でしょう。

 

音楽は必ずしも楽器の演奏をするという事ではなく、一流の演奏を聴き、感性を持って美学を身につける事だと思います。精神的な紳士・淑女になる為の教育といえます。

お越しの皆様方は年齢に関係なく私などよりも遥かに素晴らしい感性と知識・教養そして美学をお持ちなので、今更何か教育するということは不必要で、むしろそれぞれの方々との会話を通じて学び合える会になっております。

私など毎回リベラルアーツを受講している様な気がします。

この会を始めてからそれ以前とは比べ物にならないほど知識が増え、以前では知ることもできなかった世界中の為になる情報(国家機密ではありません)にも接しています。

 

この会を通じて得たことは!

感性豊かな方は美しい芸術、美味しい食事、優しい雰囲気を好まれる!

当初『Neo 阪神間モダニズムの会』を神戸ポートピアホテルのメインバーで開催して始めました。

そして、ポートピアホテル以外のホテルに何ヶ所か訪ねて聞いた時、まずお洒落なバーがあったホテルもバーをクローズしており、新しいホテルにはバーもグランドピアノも備品として無い!

驚きでした!

聞くと宴会やパーティーで音楽を入れることが極端になくなっているらしい!

結婚式すら音楽を必要としないと聞いた。

体裁のため、1台だけアップライトピアノがあると言ったホテルもありますが、優秀なピアニストに弾いてもらうにはグランドピアノの100分の1の性能のアップライトでは演奏出来ない事もあり、他のホテルでの開催は諦めました。

思えば神戸で最後にある数のグランドピアノを入れているのは1989年に出来たホテルオークラが最後。

つまり昭和の最後以降に音楽文化、いや日本の文化が衰えていき始めたのでしょうね。

1993年にバブルが完全に崩壊してからはお洒落文化は凋落していき、それと共にジワリジワリと経済も落ち、女性のファッションですら個性の無くなり洒落たドレス姿の方もホテルでも少なくなりました。

文化の崩壊は政治経済の崩壊にも繋がっていると考えるのは間違いでしょうか?

それによって若者たちの夢と希望も奪ってしまったのでは?

私はこんな画像にあるバーラウンジが好きで、そういう場所では生演奏が行われ、お洒落で少しセクシーなドレス姿の女性がいたら!と思ってしまいます。

それがまさに新しいモダニズムなのかもしれませんね。

【勝手に語り部】

最近ウクライナの方々と話すことが多くあり、彼らが自国で起こった過去の歴史を私に語ってくれることがあります。

昨年に見たBSNHKの再放送でまだ平和な頃のキーウの街の紹介番組を観た時、インタビューを受ける何組もの若いカップルが『過去を学ばねば未来は無い』と言うのに感銘を受けました。

過日行ったネパール料理の店の若い店主が、私に語った自国の自慢できる地の歴史や風景をすごく誇りに思っている姿にも感銘を受けた!

日本はどうなのか?別に私が最も苦手で成績が欠点ギリギリだった高校時代の日本史・世界史の復讐せずとも、今自分の住む街や自分自身の家族の歴史を知ってみませんか?

 

私も50歳を過ぎてから何となく神戸の歴史を知りました。

自分の家庭でのお袋の味、昔から伝わる家の料理、地域の料理を知ることも歴史!

そうすれば過去の父方・母方の3〜5代前の先祖を知る事があるかも?

 

引っ越して来ても今住む地域の歴史などを調べ、探訪しても良いのかも!

ニュータウンとして開発された所でも古の伝説もあるのでは!

何か自分にとっての新発見が出て来るかもしれないですよ!

 

そこで私から一つ紹介。

私が生まれ育った神戸市東灘区の御影にある伝説を紹介!

 

これは神戸市の東灘区と灘区に跨る地域を『兎原の郷(うばらのさと)』と呼んでいた古代の伝説です。

ひょうご伝説紀行 「処女塚」万葉集にも残る悲恋伝説

処女塚 万葉集にも残る悲恋伝説で、それをモチーフに観阿弥・世阿弥が創作した能「求塚」

 

遠い昔、六甲山(ろっこうさん)のふもと、ちょうど現在の神戸市灘区(こうべしなだく)のあたりに、菟原(うばら)という村がありました。この村に、それは美しい娘が住んでいたということです。

顔や姿が美しいばかりでなく、娘は心もやさしく、機織(はたお)りがたいへんじょうずでした。人々はうわ さを聞いて、ひと目でよいから娘を見たいものだと、訪ねてくるのでした。そうした人々の中に、二人の若者が おりました。一人は娘と同じ菟原の村に住む若者。もう一人は、海をわたった向こうの和泉国(いずみのくに) に住む若者でした。

「どうか私のおよめさんになってください。」

二人は熱心にたのみこむのでした。娘の両親も、どちらかがお婿(むこ)さんになってくれたらと思いました

が、娘の心はなかなか決まりません。二人があまりにすばらしい若者なので、どちらを選んだらいいのかわから

なかったのです。迷い続けるうちに、娘はだんだんとやつれてゆきました。

一方で若者たちは、何とか娘をおよめさんにしたいと、ますますはげしく競争するようになっていました。そ のようすを見ていると、このままでは刀を持ってきり合いを始めてしまいそうです。若者たちが競争すればする ほど、娘の心はしずんでゆく一方でした。そしてとうとう、娘は、近くを流れる生田川に身を投げようとするま でになってしまいました。

おどろいたのは両親です。

「かわいそうに。そんなに思いつめなくてもいいよ。私たちによい考えがあるからね。」

そういって娘をなぐさめた両親は、ふたりの若者を招いて言いました。

「お二人が、娘のことを思ってくださる気持ちはよくわかりました。けれどもお二人ともご立派すぎて、どち

らかを選ぶことができません。そこで考えたのですが、そこに流れている生田川の水鳥を早く射止めた方に、お

むこさんになってもらおうと思います。」

どちらの若者も、弓のうでまえには自信がありましたから、この話は願ってもないことでした。弓比べの日を

とりきめて、二人は帰ってゆきました。

いよいよ弓比べの日です。うわさがうわさを呼んで、生田川の河原にはたくさんの人が集まりました。りりし

く着かざった二人の若者は、河原へ進み出ると、合図と同時に矢をつがえて、弓をひきしぼりました。人々はか

たずを飲んで見つめます。娘は手をにぎりしめ、目を閉じました。

ひゅうっと空気を切りさく矢鳴りが、聞こえました。

「わあぁっ。」

「あたった!」

「見事だ!」

口々にさけぶ人々の声に、目を開いた娘は、立ち上がって川面を見つめました。そしてどうしたのか、川に向

かって歩き始めたかと思うととつぜん走り出し、流れに身をおどらせたのです。

激しい流れにのまれて、娘の姿は二度とうかび上がってきませんでした。それを見た二人の若者も、娘のあと

を追うように川に身を投げてしまいました。

乙女の墓しての『処女塚(おとめづか)』は阪神石屋川と新在家の間にあり、その南には清酒福寿の酒心館が国道43号線を挟んであります。

一人の若者『東求女塚(ひがしもとめづか)』阪神住吉駅から東北東にあります。

もう一人の若者『西求女塚(にしもとめづか)』は阪神西灘駅南東の住宅街の中にあります。

 

もし興味があれば行ってみては如何でしょうか?

4月5日、朝から長女の住む淡路島へ!

 

着くと直ぐに行った時に立ち寄る道の駅で淡路島の地元の方の作る野菜や食産物を購入。

その後用事を済ませ、軽く昼食をした後、娘が薦めてくれた『アート山大石可久也美術館』へ行ってみる。

入る道の看板が非常に小さく、見えた瞬間に通り過ぎてまだバック。

そこから急な坂を登り、たどり着く。

 

 

小さい美術館で景色は絶景、受付の女性も親切で「誰かから聞かれましたか? 」と聞かれたので娘の名前を言ったら娘とすごく仲が良いらしく、丁寧に案内をいただきました。

 

何となく落ち着く空間でゆったりと鑑賞し、直ぐ側にあるホテルグランドニッコー淡路へ行き、お茶を飲み帰宅!

15年前まで、ウエスティンホテル時代に宿泊し利用したこともあり、バーラウンジのあったかいを覗いたら全く形跡が無かったので、フロントで聞いたら取り壊して宴会場になっているらしい!

ホテルの格はバーラウンジを見れば分かる!と父から聞いて以来私もそのことは確信していたが、今のホテル利用をする企業も客も洒落たバーでゆったりとする情緒を持ち合わせていないようですね!

 

ウクライナ人のフォトグラファー、ロマノウィキ・オクサナさんに撮影していただいたポートレイト画像も一部届きました。

先に届いて上野保彦さんの画像と合わせてアップさせていただきます。

 

先ずは上野保彦さんの画像です。

 

浜本美智さんの画像です!

Almost 70の浜本美智さん、80の上野保彦さんの画像です!

如何ですか?

 

改めてオクサナさんの感性にエールを送りたいです

 

皆さんオクサナさんに撮影してもらいませんか?

もう桜も最後だろう!と言うことで、3月30日に花見に!

まずは夙川まで阪急で行き、すぐに王子公園へ!

王子動物園へは年齢的に無料で入場できる特権を利用して入園!

愚かな神戸市は動物園の北側を西へ移設させる計画を実施するためか?北のスペースを閉鎖していた!カンガルーやダチョウは見れず。

満開の桜の下、今日は多くのご家族連れで賑わっており、可愛い子供達の嬉しそうな声で充満していました。

遊園地スペースでも子供達の可愛い笑顔が満載!

私が初めて来たときの記憶、娘達を連れて来たときの記憶が蘇る場所。

母を一緒に来た時に長女と母が一緒に乗った乗り物はその光景も浮かびました。

象さんの前に来ると必ず娘達が團伊玖磨氏作曲の『ぞうさん』を歌っていたのも思い出す!

この年になっても動物園は楽しいですね!